先進国における発達障害の増加とその要因:生物学的原因のみによる説明の限界

スポンサーリンク

なぜ先進国で発達障害が増えているのか?:途上国の発達障害の有病率の低さ

発達障害の原因:生物学的原因か環境要因か

なぜ先進国で発達障害が増えているのか?:途上国の発達障害の有病率の低さ

中枢神経系(脳)の各種機能の成熟障害によって発症するとされる『発達障害(developmental disorder)』が、日本やアメリカをはじめとする先進国で急増している。社会性・対人関係の障害やコミュニケーション・言語の障害、イマジネーションの障害(こだわり行動)などを特徴とする『自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)』の児童の有病率は1970~1980年代には約0.1%ほどであったが、近年の統計的研究ではその有病率が最低でも約1.0%以上と10倍以上にまで増加してきて、それほど珍しい発達障害とは言えなくなってきている。

もちろん、かつての自閉症児のイメージやその診断基準は、他者への興味関心が全くなくて、言語的コミュニケーションが殆ど成り立たず、一人でずっとこだわり行動(常同行動)を繰り返したり、刺激に対する知覚過敏でパニック発作を起こしたりしているという『重症度の高い自閉症』が中心だったので、軽症の事例も含む自閉症的な症状の連続体(グラデーション)である『自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)の有病率』よりかはかなり低かったのが当たり前という見方もある。

統合失調症やうつ病をはじめとする精神疾患と同様に発達障害も、ここ20~30年のスパンで見ると『軽症化』が進んでいる。だが、その代わりに『発達障害全般の発症率・有病率の増加』がかなり目立つようになってきているのである。発達障害の症状が比較的軽い『軽度発達障害』の増加が指摘されているが、軽度発達障害といっても『学校生活(授業・集団行動)・人間関係への不適応』の原因になるので、自己評価や自尊心(自信)を低下させて長期的な不利益や二次的障害につながってしまう恐れがある。

知的障害を伴わない軽度の自閉症スペクトラムの急増は、日本だけではなくアメリカやイギリスにおいても見られ、アメリカで行われた2006年の発達障害・自閉症スペクトラムに関する大規模な統計調査では、8歳児の自閉症スペクトラムの1000人当たりの有病率が6.0人から9.4人にまで大幅に増えている。アメリカでは自閉症スペクトラムの有病率が、先進国の雇用・生活の履歴が長い白人・アジア系で高くなっており、黒人・ヒスパニック(メキシコや中南米の移民)は低くなっている。英米でもかつては自閉症の有病率は約0.1~0.5%程度だったが、近年は約1.0%を超えてきていて、韓国では約2.0%を超えるというような統計的調査もある。

楽天AD

アメリカで初めて『発達障害(developmental disorder)』という発達プロセスの障害概念が用いられたのは1980年の『DSM-Ⅲ』からであり、現在の発達障害の分類に近い枠組みが出来上がってきたのはⅢの改訂版の『DSM-Ⅲ-R(1987年)』だから、その歴史はまだかなり短い。発達障害がここ20年ほどで急に増加した要因の一つは、今まであまり知られていなかった『自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)・ADHD(注意欠如多動性障害)』などの発達障害の症状・問題に関する情報が啓蒙的に普及してきたことであり、過去にも同じような症状を抱えていた人はいたが診断・療育を受けないまま成長することが多かったのではないかと推測されている。

現在、発達障害(DSM-5では神経発達障害)として分類されている障害には以下のようなものがあるが、いずれの発達障害もここ10~20年の期間に有病率が急増していて、特に『ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)』はアメリカにおいて10代の青少年の有病率が約10.0%の水準(10人に1人の水準)にまで急増している。

ここ10~20年ほどの期間で見ると、先進国において発達障害の人の数(発達障害の診断・治療を受ける人の数)は増加し続けているが、アフリカや中東の開発途上国では発達障害はほとんど見られない。2004年のイスラエルの自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)の統計的調査では『イスラエル(先進国の環境)で生まれ育った人』と『アフリカ(エチオピア)をはじめとする途上国の環境で成長してからイスラエルに移住してきた人』とでは、発達障害の有病率が大きく違っている(エチオピアから移住してきた子供の発達障害者は一人もいなかった)という結果も出されている。

こういった先進国と途上国の発達障害の有病率についての研究では、いずれも『先進国において発達障害の人が多い・途上国では発達障害の人がほとんどいない』という研究結果が出されている。この研究結果は、従来、遺伝子レベルや脳の器質的障害といった『遺伝的・器質的な生物学的原因』のみによって発症すると言われていた自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)にも、一定の『高度文明社会・教育制度・ライフスタイル・頭脳労働などの環境要因』が関係していることを示唆している。

先進国に移住してすぐの途上国出身の移民の大人・子供には発達障害はほとんどいないが、先進国で生まれた移民の子供の世代から発達障害が増えてくることから、先進国と途上国の差は『人種・民族・血統による有病率の差』ではなく『先進国のライフスタイル・生活環境・教育制度などの影響による有病率の差』であると考えられる。

スポンサーリンク

発達障害の原因:生物学的原因か環境要因か

発達障害の原因は、一般的に『遺伝子・脳機能と関係する生物学的原因』だとされている。生物学的基盤を持つ遺伝子の異常(エラー)や器質的な障害(身体器官の問題)、中枢神経系の成熟過程の障害が発達障害の原因と考えられており、家庭環境や自分の意志・努力とは関係しない『広義の脳機能障害・遺伝子レベルの異常』として定義されていることになる。

しかし、発達障害の原因を生物学的原因のみに限定して考えると、ここ10~20年ほどのスパンにおける自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)やADHDの急激な増加を合理的に説明することが難しくなる。それは、わずか数十年間程度の期間で人間の遺伝子情報や脳の構造・機能が急に発達障害を発症するように変化したというのは考えにくいからである。そのため、遺伝子・脳機能の生物学的原因以外の『環境要因(家庭環境・親子関係・愛着障害など)』『発達障害の診断基準の問題(軽症事例の診断増加・時代性や患者のニーズを受けた過剰診断など)』も合わせて考えていったほうが良いのではないかとする専門家の意見も増えてきている。

精神医学の精神病理学や精神疾患(発達障害)の診断基準において『生物学的原因』という時には、『心理社会的要因を含まない生まれつきの生得的な要因・脳の器質的な異常』といった意味合いが含意されている。つまり、児童虐待、ネグレクト(養育放棄)、冷淡な親子関係、愛情不足、いじめや疎外などの環境要因によって発達障害が発症することはないというのが、従来の発達障害理論の前提になっているのである。発達障害の原因は、遺伝子レベルの異常や脳機能の障害、器質的な病変に基づく『生物学的原因』であり、子供の育て方や親子関係・友人関係、愛情不足(保護・安心感の欠如)、子供が置かれてきた成育環境の良し悪しとは全く関係がない(環境要因は発達障害の発症に影響しない)というのが通説であった。

楽天AD

発達障害は遺伝子レベルの異常や脳機能の障害によって、精神発達の正常なプロセスが阻害されて発症する問題であり、出生当初は特別な問題が見られなくても年齢が上がるにつれて、『社会性・コミュニケーション・行動制御・注意力や集中力』などの側面でさまざまな障害や症状が見られるようになっていく。脆弱X症候群などの遺伝子レベルの異常だけではなく、妊娠中の胎児期や乳幼児期に生じた『器質的病変(身体的な構造・形態の病変)』も発達障害を誘発することがある。妊婦の飲酒・喫煙・栄養不足(胎児への化学的な悪影響)、早産・未熟児、仮死分娩の低酸素脳症、乳幼児の脳炎の後遺症などが、発達障害の原因としての器質的病変を引き起こすリスクが知られている。

発達障害の典型的な原因の一つが『遺伝子要因』であることは、『発達障害の双生児研究』である程度実証されていて、『発達障害』は『知能指数(IQ)』の約6~7割と同程度以上の遺伝率の高さを示している。コミュニケーション障害(自閉性)や知的障害、言葉の遅れなどの症状を示す古典的な重症自閉症では約9割の遺伝率(発症要因に占める遺伝要因の寄与率)だとされている。自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)やADHD(注意欠如・多動性障害)の遺伝率も約7~8割で高くなっている。学習障害(LD)だけは胎児期の環境要因(母親の妊娠中の飲酒・喫煙など)の比率がある程度大きく、その遺伝率は2~5割くらいに留まっている。

楽天AD

ADHDや学習障害の有病率が約5~10%にまでなるような発達障害の短期間における急激な増加は、従来の『生物学的原因(遺伝要因)のみの病因論』では十分に説明することができないが、発達障害の急な増加の一つの原因としては前述したように『各種発達障害の情報・知識の普及』『精神科(心療内科)を発達障害の疑いを抱いて受診する人の絶対数の増加』を考えることができる。

精神疾患や発達障害に対する啓発活動によって偏見(特別視)が弱まったことが、『精神科(心療内科)の受診率・診断率の増加』をもたらした。発達障害の増加の要因としては、『過去にも潜在的に存在していたと推測される発達障害の人の顕在化』『DSMに代表される操作的診断における発達障害の診断率の高さ(診断基準の緩和・過剰診断にもなりやすい問題)』の双方を考えることができる。

一方、ADHDという発達障害の名称が普及する以前にあった『微細脳機能障害(MBD:Minimal Brain Disorder)』の有病率も潜在的に約20%ほどあると言われていたので、ADHDに関しては潜在的患者数(統計的調査に出てこなかった暗数)の顕在化の側面が強いのかもしれない。ADHDの有病率は、社会経済的に恵まれない低所得層(家庭環境・教育環境が荒れている層)で高くなる傾向が有意にあるが、近年は更にこういった社会経済的に恵まれない階層における『ADHDの増加率の高さ』が見られるようになっており、『受診率・診断率(診断基準)の要因による見せかけのADHDの増加』だけでは説明がつかない部分も多い。

『受診率・診断率の増加』『DSMにおける操作的診断の診断基準の緩和』の要因が発達障害の増加にある程度影響しているとしても、日本やアメリカ、イギリスなどの先進国における発達障害の急激な増加を十分に説明することは難しいということである。特にADHDにおいては『本来的なADHDの人の正味の増加』が起こっているのではないかという見方も有力なのである。現在では専門家によって見解のバラツキは大きいが、『生物学的原因+受診率・診断率の原因以外の広義の環境要因(成育歴・親子関係・愛着障害の要因など)』も合わせて、発達障害の増加の原因を多面的に考えるようになってきていると言えるだろう。

スポンサーリンク
Copyright(C) 2005- Es Discovery All Rights Reserved