儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは儒者の自己修養と政治思想を説いた『大学』の解説をしています。『大学』は元々は大著の『礼記』(四書五経の一つ)の一篇を編纂したものであり、曾子や秦漢の儒家によってその原型が作られたと考えられています。南宋時代以降に、『四書五経』という基本経典の括り方が完成しました。
『大学』は『修身・斉家・治国・平天下』の段階的に発展する政治思想の要諦を述べた書物であり、身近な自分の事柄から遠大な国家の理想まで、長い思想の射程を持っている。しかし、その原文はわずかに“1753文字”であり、非常に簡潔にまとめられている。『大学』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていく。
参考文献
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),伊與田覺『『大学』を素読する』(致知出版社)
[白文]
秦誓曰、若有一个臣、断断兮無他技、其心休休焉。人之有技、若己有之、人之彦聖、其心好之。不啻若自其口出、寔能容之。以能保我子孫黎民。尚亦有利哉。人之有技、娼疾以悪之、人之彦聖、而違之卑不通。寔不能容。以不能保我子孫黎民。亦曰殆哉。唯仁人放流之、迸諸四夷、不与同中国。此謂唯仁人為能愛人能悪人。
[書き下し文]
秦誓(しんせい)に曰く、若し一个(いっか)の臣あり、断々兮(だんだん)として他技(たぎ)なく、その心休休焉(きゅうきゅうえん)として、それ容るる(いるる)あるがごとし。人の技ある、己これあるがごとく、人の彦聖(げんせい)なる、その心これを好む。啻(ただ)にその口より出づるがごとくなるのみならず、寔(まこと)に能くこれを容るる。もって能く我が子孫黎民(しそんれいみん)を保つ。尚くは(こいねがわくは)亦(また)利あらん哉(かな)。人の技ある、娼疾(ぼうしつ)してもってこれを悪み(にくみ)、人の彦聖なる、これに違いて通ぜざらしむ。寔に容るる能わず。もって我が子孫黎民を保つ能わず。亦曰く殆い哉(あやういかな)。唯(ただ)仁人(じんじん)これを放流し、諸(これ)を四夷(しい)に迸け(しりぞけ)、与に(ともに)中国を同じくせず。これを唯仁人能く人を愛し人を悪むことを為すと謂う。
[現代語訳]
『書経』の秦誓にこう書いてある、仮にここに一人の臣がいるとすると、一途で真面目だが特別な技能はない、だがその心は穏やかで落ち着いており寛容である。その人を容れる度量は非常に大きい。他人の技能があると、自分もその技能を慕って持っているようにしようと努力し、他人の美しさや物事に精通した徳を見ると、それを好むのである。ただその技能や美徳を口で賞賛するだけではなくて、本当に真心から有徳有能の士を受け容れようとする。こういった臣がいれば、もって子孫と万民の幸福・安寧が保たれることになる。こいねがって仕えさせれば、国家に利益があるだろう。人の技能を見て、嫉妬したり憎んだりする。人の美しさや物事に精通した徳を、これに学ばずに逆らって妨害し、その有能有徳の士に地位を与えないようにする。本当に真心から人材を受け容れるということがない。こういった臣がいると、もって子孫と万民の幸福・安寧は破壊されてしまい保つことはできない。いわく、国家の存立が危うくなってしまう。ただ仁人の君主はこういった有害無益な人材を放逐して、この人物を四方にある野蛮な国へと追い払ってしまう。共に中国の土地に居るということがない。これを指して、仁人の君主はただ愛すべき人を愛し、憎むべき人を憎むというのである。
[補足]
国家の利益を増進させる『有能・有徳な家臣』とはどのような人物であるのかを説明した章である。『他人の技能・人徳・長所』にいたずらに嫉妬したり憎んだりせずに、そういった美点や特技をきちんと評価して活用しようとする人材が、本当に国家のためになる忠臣だとしている。反対に、『他人の技能・人徳・長所』に嫉妬したり、優れた人材を保身のために退けるような人物がいると、国家の運営はたちまち危うくなって行き詰ってしまうのである。
[白文]
見賢而不能挙、挙而不能先、命也。見不善而不能退、退而不能遠、過也。好人之所悪、悪人之所好、是謂払人之性。災必逮夫身。是故君子有大道。必忠信以得之、驕泰以失之。
[書き下し文]
賢(けん)を見て挙ぐること能わず、挙げて先んずること能わざるは命る(おこたる)なり。不善を見て退くること能わず、退けて遠ざくること能わざるは過ちなり。人の悪む所を好み人の好む所を悪む、これを人の性に払る(もとる)と謂う。災い必ず夫の(その)身に逮ぶ(およぶ)。この故に君子大道あり。必ず忠信(ちゅうしん)もってこれを得、驕泰(きょうたい)もってこれを失う。
[現代語訳]
賢人を見て採用することができず、採用してもこれを活用することができないのは、主君の怠慢である。不善を見て退けることができず、退けて遠くに追い払うことができないのは、主君の過失である。人が憎んでいることを好んでする、人が好んでいることを嫌ってしない、これは人間の本性・道義に悖るといわれる振る舞いである。そういった本性に悖る行為をしていると、災いが必ずその身に及ぶことになる。このため、君子には仁義の大道があるのである。必ず真心を忘れずに忠義・誠実を尽くせば天下を得るが、驕慢になって我がまま放題をすれば必ず天下を失うことになる。
[補足]
君子(主君)になるべき人物が踏み行うべき『大道』について整理しており、『賢人の採用』『不善との戦い』『人間本性(道義・倫理)の実践』という君子として守るべき道について分かりやすく説明している。君子としての大道に背いて生きれば必ず天罰を受けるが、忠義と誠実、真心を忘れずに励めば天下を得ることさえも出来ると説いている。
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