『大学』の書き下し文と現代語訳:16

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儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは儒者の自己修養と政治思想を説いた『大学』の解説をしています。『大学』は元々は大著の『礼記』(四書五経の一つ)の一篇を編纂したものであり、曾子や秦漢の儒家によってその原型が作られたと考えられています。南宋時代以降に、『四書五経』という基本経典の括り方が完成しました。

『大学』は『修身・斉家・治国・平天下』の段階的に発展する政治思想の要諦を述べた書物であり、身近な自分の事柄から遠大な国家の理想まで、長い思想の射程を持っている。しかし、その原文はわずかに“1753文字”であり、非常に簡潔にまとめられている。『大学』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていく。

参考文献
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),伊與田覺『『大学』を素読する』(致知出版社)

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[白文]

生財有大道。生之者衆、食之者寡、為之者疾、用之者舒、則財恒足矣。仁者以財発身、不仁者以身発財。未有上好仁、而下不好義者也。未有好義、其事不終者也。未有府庫財非其財者也。

[書き下し文]

財を生ずるに大道あり。これを生ずる者衆く(おおく)して、これを食らう者寡なく(すくなく)、これを為す者疾く(とく)して、これを用うる者舒やか(ゆるやか)なれば、則ち財恒に足る。仁者は財をもって身を発し、不仁者(ふじんしゃ)は身をもって財を発す。未だ上(かみ)仁を好みて下(しも)義を好まざる者あらざるなり。未だ義を好みてその事終わらざる者あらざるなり。未だ府庫(ふこ)の財その財に非ざる者あらざるなり。

[現代語訳]

国の財政を豊かにするということにも大道がある。働いて財を生産する者を多くして、これを消費する者を少なくし、生産をする者は速やかに仕事に取り掛かり、消費をする者は緩やかに財を消費すれば、財政(財産)は常に不足するということがない。仁者は財があれば寄付・施しに務めて身を起こすが、不仁者は自分が豊かに暮らすために苛烈に財を集め続ける。いまだ君主が仁を好んでいて実践しているのに、その家臣が義を好まない(裏切りを働く)ということはないのだ。いまだ君主が義を好んでいるのに、その仕事が成功しないということもない。いまだ国の府庫にある財が無くなってしまうということもないのである。

[補足]

儒教道徳に則った『理財の道』について説いた章であり、国の財政・財産を安定して増やし維持するためには、『勤勉に生産する人民』を増やし『貪欲に消費する人民』を減らすことが大切だという常識的な財政観を示している。『私利私欲の蓄財』に励むばかりの君主がいる国は、やがて家臣の不忠・人民の裏切りにあって滅亡することになるが、『人民を大切にする仁義・慈悲』を実践する君主がいる国は、家臣・人民の忠義を集めて財政も豊かになっていくということを説いている部分である。

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[白文]

孟献子曰、畜馬乗、不察於鶏豚。伐氷之家、不畜牛羊。百乗之家、不畜聚斂之臣。与其有聚斂之臣、寧有盗臣。此謂国不以利為利、以義為利也。長国家而務財用者、必自小人矣。彼為善之小人之使為国家、災害並至。雖有善者、亦無如之何矣。此謂国不以利為利、以義為利也。

右伝之十章。釈治国平天下。凡伝十章。前四章統論綱領指趣。後六章細論条目工夫。其第五章乃明善之要。第六章乃誠身之本。在初学尤為当務之急。読者不可以其近而忽之也。

[書き下し文]

孟献子(もうけんし)曰く、馬乗(ばじょう)を畜う(かう)ものは鶏豚(けいとん)を察せず。伐氷(ばつひょう)の家は牛羊(ぎゅうよう)を畜わず。百乗の家は聚斂(しゅうれん)の臣を畜わず。その聚斂の臣あらんよりは、寧ろ(むしろ)盗臣(とうしん)あれと。これを国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為すと謂う。国家に長として財用を務むる者は、必ず小人自り(より)す。小人をして国家を為さしめれば、災害並び至る。善者ありと雖もまたこれを如何ともするなし。これを国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為すと謂う。

右伝の十章。国を治め天下を平らかにすることを釈す。凡そ(およそ)伝十章。前の四章は綱領の指趣(ししゅ)を統論す。後の六章は条目の工夫を細論(さいろん)す。その第五章は乃ち(すなわち)善を明らかにするの要。第六章は乃ち身を誠にするの本。初学に在りてはもっとも当(まさ)に務むべきの急と為す。読者その近きをもってこれを忽せ(ゆるがせ)にすべからざるなり。

[現代語訳]

魯の賢大夫として知られる孟献子がおっしゃった。大夫に昇進して馬に乗る身分になった者は、十分な俸禄があるので鶏や豚を飼わない。葬儀に氷を用いることができる裕福な卿大夫の家では、牛や羊を飼わない。戦車百乗を出せるような広大な領土を持つ家は、租税を搾り取るための家臣を使わない。人民から税を搾り取る家臣がいるよりは、むしろ主君の宝物庫から盗みを働く家臣のほうがまだマシであると。これは、国は君主の私的な利益をもって利とするのではなく、人民に対する義・慈愛をもって利とするということである。国家の長として財政を務める者で、人民から搾取して私腹を肥やそうとする者は、必ず小人からそういったことを始めるものである。小人を採用して国家の要職を任せれば、さまざまな人災というべき災害・不幸が起こってくる。こうなると、いくら善人がいてももうどうしようもなくなってしまう。これが、国は君主の私的な利益をもって利とするのではなく、人民に対する義・慈愛をもって利とするということを知ることの大切さなのである。

[補足]

国家の財政を私物化するような苛斂誅求の悪政を行う小人を指弾している章であり、政治は『君主の私利私欲のため』ではなく『万民の幸福・安寧・活力のため』に行われなければならないということである。人民・農民から少ない収入(食糧)を苛烈に搾り取って虐待するような政治はすべからく悪であり、君主は常に『人民・農民の生活の安定』を意識して、そのために全力で努めなければならないのである。『人民から搾取する家臣』よりも『君主の倉庫から盗み取る家臣』のほうがまだマシであるという部分に、儒教の理想とする徳治政治のあるべき姿が述べられているのである。

[白文]

右大学一篇、経二百有五字、伝十章。今見於戴氏礼書。而簡編散脱、伝文頗失其次。子程子蓋嘗正之。熹不自揆、窃因其説、復定此本。蓋伝之一章、釈明明徳。二章釈新民。三章釈止於至善。以上並従程本、而増詩云瞻彼其奥以下。四章釈本末。五章釈致知。並今定。六章釈誠意。従程本。七章釈正心・修身。八章釈修身・斉家。九章釈斉家・治国・平天下。並従旧本。序次有倫、義理通貫、似得其真。謹第録如上。其先賢所正、衍文誤字、皆存其本文、而囲其上、傍注所改。又与今所疑者、并見於釈音云。新安朱熹謹記。

[書き下し文]

右大学一篇(いっぺん)、経(けい)二百有五字、伝十章。今戴氏(たいし)の礼書に見ゆ。而して簡編(かんぺん)散脱(さんだつ)し、伝文頗るその次を失う。子程子(していし)蓋し嘗てこれを正せり。熹(き)自ら揆らず(はからず)、窃(ひそか)にその説に因り、復(また)この本を定む。蓋し伝の一章は、明明徳を釈す。二章は新民を釈す。三章は至善に止まるを釈す。以上は並びに程本に従う、而して詩に云く彼の其奥(きいく)を瞻れば(みれば)以下を増す。四章は本末を釈す。五章は致知を釈す。並びに今定む。六章は誠意を釈す。程本に従う。七章は正心・修身を釈す。八章は修身・斉家を釈す。九章は斉家・治国・平天下を釈す。並びに旧本に従う。序次倫(りん)有り、義理通貫(ぎりつうかん)して、その真を得るに似たり。謹みて第録(ていろく)すること上のごとし。その先賢の正す所、衍文誤字は皆その本文を存して、その上を囲み、改むる所を傍注す。又今疑う所の者と、并び(ならび)に釈音(しゃくおん)に見ると云う。新安の朱熹(しゅき)謹みて記す。

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