『徒然草』の50段~52段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の50段~52段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

50段:応長の比、伊勢国より、女の鬼に成りたるをゐて上りたりといふ事ありて、その比廿日(はつか)ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「ただ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言と云ふ人もなし。上下、ただ鬼の事のみ言ひ止まず。

その比、東山より安居院辺(あぐいへん)へ罷り侍りしに、四条よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町に鬼あり」とののしり合へり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。はやく、跡なき事にはあらざめりとて、人を遣りて見するに、おほかた、逢へる者なし。暮るるまでかく立ち騒ぎて、果は闘諍(とうじょう)起りて、あさましきことどもありけり。

その比、おしなべて、二三日(ふつかみか)、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼の虚言(そらごと)は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

[現代語訳]

応長の頃に、伊勢の国で鬼になった女を捕らえて京に上ったと言う噂が起こった。その噂が流れた頃より二十日ばかりの間は、京の都は鬼の噂でもちきりで、みんな鬼を見ようとして出歩いていた。「昨日は西園寺殿のお屋敷に鬼が連れて来られたそうだ」「今日は上皇の元へ来るのだろう」「たった今はそこそこにいたようだ」など大衆が言い合っている。本当に見たという人も、ただの虚言だと断言する人もいない。身分の高い者も低い者も、ただ鬼の噂ばかりを言い合っている。

その頃、所用があって東山から安居院のあたりまで出かけたのだが、四条から北に向かって人々が走ってくる。「今、一条室町に鬼がいる」と叫んでいる。今出川の橋の上から見ると、鴨川の桟敷の辺りまで人が群がっていて、そこを通ることもできない。これほどの騒ぎになっているので、全く根も葉もない噂ではないだろうと、供の者を遣いにやってみたが、まったく鬼に出会ったという者はいなかったという。日が暮れるまでこのような騒ぎで、喧嘩・乱闘なども起こって、感心できないつまらないことも多くあったようだ。

その頃だったか、二、三日ばかり人が発熱して苦しむ疫病が都に流行ったというのは。先ほどの鬼の虚言は、この疫病の予兆であったと言う人もいた。

[古文]

51段.亀山殿の御池に大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの銭を給ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたずらに立てりけり。

さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて(ゆいて)参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るる事めでたかりけり。

万(よろず)に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

[現代語訳]

後嵯峨上皇が、亀山殿(仙洞院)の庭の池に引く水を、大井川から引こうとして、大井の百姓に命じて水車を作らせた。百姓たちに労賃となる銭(おあし)を沢山与えて、数日で水車の本体を作り上げさせたが、大井川に水車を設置してみたところ、まったく回らない。何とか直そうとしてみたが、結局水車は回ることがなく、無意味にそこに立てかけられたままであった。

そこで、宇治の里人たちを召しだして、水車をこしらえさせてみると、簡単に水車を組みあげて設置したのだが、思いのままに水車は良く回った。水は亀山殿の庭の池にスムーズに流れるようになり、その水車作りの技術は素晴らしかった。

何につけても、その道をよく知っている者(その道に慣れて精通している者)は、素晴らしいものである。

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[古文]

52段:仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。

[現代語訳]

仁和寺にいた法師が、年寄りになるまで石清水八幡宮を拝まなかったのを、残念(心残り)に思っていた。ある時思い立ち、一人で徒歩で石清水に参詣しようとした。山の麓にある極楽寺・高良神社を拝んでから、このようなものかと納得して寺に帰った。

さて、仲間の僧侶に会ったその法師は、『長年思っていたことを、果たしてきました。聞いていた以上に、石清水八幡宮は尊いところでございました。しかし、参っている人たちがみんな、山へ登っていたのは、何かあったのでしょうか?知りたかったのですが、神へお参りすることが本来の目的と思って、山までは見ませんでした』と言った。

そのみんなが登っていた山の上にある神社こそ、お参りしたかった『石清水八幡宮』なのだが、法師はそんな基本的なことも知らずに出かけていたのだ。少しの事であっても、(その道に詳しい)先達・先行者の案内はあったほうが良いということである。

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