兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。
『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の76段~79段が、このページによって解説されています。
参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)
[古文]
第76段:世の覚え花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、聖法師の交じりて、言ひ入れ、たたずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。
さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん。
[現代語訳]
世の覚えが華やか権力者(権勢家)の家に、不幸や祝い事があって、人が多く訪れて弔意・祝意を示している。その中に、世捨て人の聖法師が交じっており、案内を申し込み、門口でたたずんでいるが、そのようにしなくても良いのにと思う。
然るべき理由があっても、世を捨てた法師(遁世者)というものは、世俗の人とは疎遠であって欲しいものである。
[古文]
第77段:世中に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。
[現代語訳]
その頃、世の中に、人が世間話(噂話)の話題として言い合っていることについて、そういった噂話に関わるべきではない人が、よくその内情を知っていて、人に語り聞かせているのは、どうにも納得できない。特に、山奥に引きこもっているはずの法師が、世間話を我が事のように尋ねたり聞いたりして、どうしてそこまで知っているのかと思われるほどに、周囲に言い散らかしているようだ。
[古文]
第78段:今様の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。
いまさらの人などのある時、ここもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片端言い交し、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり。
[現代語訳]
珍しい最近の事柄を、もてはやして、言い広めるのも、また納得できないことだ。世間で言い古されるまで、知らないでいる人は魅力がある。
今、新しく来た人がいる時に、仲間内で話し慣れている話題や物の名前などを話し、そのことを良く知っている仲間だけに分かるように、話の一部分だけを語り合ったり、顔を見合わせて笑ったりする。(そうやって内輪向けの話に終始して)事情を良く知らない人に嫌な思いをさせるのは、世間知らずの立派ではない人たちがよくやることである。
[古文]
第79段:何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。
よくわきまえたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。
[現代語訳]
何事にも、深く知っている振りをしないのが良い。教養のある人は、知っていることだからといって、そんなに物知り顔で言うだろうか。田舎から出てきたような無教養な人こそ、すべての道に精通している様子で知ったかぶって受け答えをするものである。だから、世の中には恥ずかしい知ったかぶりの人もいるものだが、自分では凄いだろうと思っている様子が、何ともみっともない。
よく知っている道であっても、口を重くして軽々しく語らず、問われない限りは自分からは言わない、そういった態度こそ素晴らしい。
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