『徒然草』の145段~148段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の145段~148段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第145段:御随身(みずいじん)秦重躬(はたのしげみ)、北面の下野入道信願(しんがん)を、『落馬の相ある人なり。よくよく慎み給へ』と言ひけるを、いと真しからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる一言、神の如しと人思へり。

さて、『如何なる相ぞ』と人の問ひければ、『極めて桃尻にして、沛艾(はいがい)の馬を好みしかば、この相を負せ侍りき。何時かは申し誤りたる』とぞ言ひける。

[現代語訳]

後宇多上皇の随身(警護役)である秦重躬は、北面の武士であった下野入道信願の乗馬を見て、『あの方には落馬の相がある。よくよく気をつけなさい』と注意したのだが、信願はこれを本当だとは思わずに乗馬していたので、落馬して死んでしまった。ある道に精通した者の一言は、神の如しと誰もが感嘆した。

さて、『落馬の相とはどんな相ですか?』とある人が秦重躬に質問すると、『桃のようにとても丸くて座りの悪い桃尻を持っていて、気が荒くて飛び上がる癖のある馬を好んでいたので、この相を持っていると感じた。今までこの相で見誤ったことはない』と答えた。

[古文]

第146段:明雲座主(めいうんざす)、相者にあひ給ひて、『己れ、もし兵杖の難やある』と尋ね給ひければ、相人、『まことに、その相おはします』と申す。『如何なる相ぞ』と尋ね給ひければ、『傷害の恐れおはしますまじき御身にて、仮にも、かく思し寄りて、尋ね給ふ、これ、既に、その危みの兆なり』と申しけり。

果して、矢に当たりて失せ給ひにけり。

[現代語訳]

比叡山延暦寺の明雲座主が、人相見(易者)に会われてお尋ねになった。『もしや、私には戦死するような相はないだろうか?』と。人相見は『確かに、その相がおありですね』と答えた。明雲座主は更に『どのような相だ?』とお尋ねになったが、『戦場での怪我など心配なされる身分でもないのに、仮にも、そんな事を心配してお尋ねになられている。これはその事自体が、既に危険の前兆なのです』と人相見は申し上げた。

果たして、明雲座主は(1183年の法住寺合戦で木曾義仲方の)流れ矢に当たって亡くなってしまった。

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[古文]

第147段:灸治、あまた所に成りぬれば、神事に穢れありといふ事、近く、人の言ひ出せるなり。格式等にも見えずとぞ。

[現代語訳]

お灸による治療の痕は、数が多くなってくると、神域・神事での穢れとなるという事。これは、最近になって人々が言い出した迷信である。そんな事は、古代の法律・規則(内規)にも書かれていない。

[古文]

第148段:四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気の事あり。必ず灸すべし。

[現代語訳]

四十過ぎの人は、身体に灸を据えて三里のツボを焼かないと、上気の病に罹ることがある。必ずお灸をすべきなのだ。

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