清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『めでたきもの~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
84段
めでたきもの
唐錦(からにしき)。飾り太刀(かざりたち)。作り仏のもくゑ。色あひ深く花房(はなぶさ)長く咲きたる藤の花、松にかかりたる。
六位の蔵人(くらうど)。いみじき君たちなれどえしも着給はぬ綾織物を、心にまかせて着たる青色姿などの、いとめでたきなり。所の雑色(ところのぞうしき)、ただの人の子どもなどにて、殿原(とのばら)の侍に、四位、五位の司あるが下にうち居て、何とも見えぬに、蔵人になりぬれば、えも言はずぞあさましきや。宣旨(せんじ)など持てまゐり、大饗(だいきょう)のをりの甘栗の使などに参りたる、もてなし、やむごとながり給へるさまは、いづこなりし天降り人ならむとこそ見ゆれ。
御女(おんむすめ)、后にておはします、また、まだしくて姫君など聞ゆるに、御書の使とてまゐりたれば、御文取り入るるよりはじめ、茵(しとね)さし出づる袖口など、明暮(あけくれ)見し者ともおぼえず、下襲(したがさね)の裾(しり)引き散らして、衛府(ゑふ)なるは今すこしをかしく見ゆ。御手づから盃などさしたまへば、わが心地にもいかにおぼゆらむ。いみじくかしこまり、土に居し、家の子、君だちをも、心ばかりこそ用意し、かしこまりたれ、同じやうに連れ立ちてありくよ。上の近う使はせ給ふを見るには、ねたくさへこそおぼゆれ。
[現代語訳]
84段
すばらしいもの
唐錦(からにしき)。飾り太刀。作り仏のもくえ。色合いに深みがあって、花房(はなぶさ)が長く咲いた藤の花が松にかかっている景色。
六位の蔵人(くらうど)。高貴な貴公子たちでもなかなか着ることができない綾織物を自由に着ている青色姿などが、非常に素晴らしいのである。蔵人所の雑色が、並の身分に過ぎない人の子弟で、立派な身分の方に仕える侍として、四位や五位の官職に就いた人の下位で畏まっていて、何ともないような者が、六位の蔵人になってしまえば、何とも言えないほどのあきれる派手な服装である。宣旨などを持って参上したり、大饗の時の甘栗の使いなどで参上したのを、もてなして、高貴な人に対応するように接する様子は、どこからやってきた天下り人なのだろうと見えるほどである。
お娘が后でいらっしゃったり、またはまだ入内していなくて姫君などと呼ばれている人の所に、帝の御書簡を届ける使いとして参上したのに、その手紙を御簾の中に取り入れるのをはじめとして、敷物を差し出す女房の袖口などを見ると、明け暮れに見慣れていた者とは思えないほどの立派さで、下襲の裾を長く引いていて、衛府の役目をしている者は、更にもう少し素敵に見える。主人が自ら盃などを差すのだから、自分の気持ちもどんなに弾むだろうかと思ってしまう。とても畏まって、土の上に座っていた高貴な家の子弟たちに対しても、気持ちだけを構えて畏まっているが、同じように肩を並べて歩いていることよ。帝が側近くに召し使えになるのを見ては、(身分的には上位であるはずの殿上人たちが)妬ましく思っているように見える。
[古文・原文]
84段:終わり
馴れつかうまつる三年(みとせ)、四年(よとせ)ばかりを、なりあしく、物の色よろしくてまじらはむは、言ふかひなきことなり。かうぶりの期(ご)になりて、下るべきほどの近うならむにだに、命よりも惜しかるべき事を、臨時の所々の御賜はり申して下るるこそ、言ふかひなくおぼゆれ。昔の蔵人は、今年の春、夏よりこそ、泣きたちけれ。今の世には、走りくらべをなむする。
博士の才(ざえ)あるは、めでたしと言ふも愚かなり。顔にくげに、いと下臈(げろう)なれど、やむごとなき人の御前に近づきまゐり、さべき事など問はせ給ひて、御文の師にて侍ふは、うらやましくめでたしとこそおぼゆれ。願文、表、ものの序など作り出だしてほめらるるも、いとめでたし。
法師の才(ざえ)ある、はた、すべて言ふべくもあらず。
后の昼の行啓(ぎょうけい)。一の人の御ありき。春日詣で。葡萄染の織物(えびぞめのおりもの)。すべてなにもなにも、紫なるものは、めでたくこそあれ。花も糸も紙も。庭に雪の厚く降り敷きたる。一の人。紫の花の中には、杜若(かきつばた)ぞ、すこしにくき。六位の宿直姿(とのゐすがた)のをかしきも、紫のゆゑなり。
[現代語訳]
84段:終わり
親しく帝にお仕えする三年か四年の間、身なりが好ましくなくて、衣装の色が冴えないままで仕えるのは、何とも不甲斐ないことである。除目(人事)の頃になって、殿上の間を退出する時が近づいていて、命より惜しむべきありがたい事なのに、臨時の各地の受領(ずりょう,実利のある官職・地方長官)になりたくて申請するのは、情けないことのように思われる。昔の六位の蔵人は、前年の春、夏の頃から、地方に行きたくなくて泣いていた。だが今の世では、競うようにして受領(地方長官)になりたがっている。
博士の才能がある者は、素晴らしいとただ言うのも愚かなことである。顔は醜くて、身分も低いけれど、高貴な人々の御前に近づいて参上することができ、高貴な方からのご質問(ご下問)を受け付けて、学問の師として仕えるのは、羨ましくも立派なことであると思う。願文、表、詩歌の序などを作成して褒められるのも、とても素晴らしいことだ。
法師で才能・学問があるという者は、これまた改めて言うまでもない。
后のお昼の行啓(各地の訪問)。摂政・関白のお散歩(外出)。摂関の春日大社の参拝。葡萄染の織物。すべてどれでも、紫色のものは素晴らしいものである。花でも糸でも紙でも紫は素晴らしい。庭に雪が厚く降り積もった情景。摂政・関白。紫色の花の中では、杜若が、少し見映えが悪い。六位の蔵人の宿直姿に情趣があるのも、紫色のお陰なのである。
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