清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『とくゆかしきもの 巻染、むら濃、くくり物など染めたる~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
154段
とくゆかしきもの
巻染(まきぞめ)、むら濃(むらご)、くくり物など染めたる。人の子産みたるに、男、女、とく聞かまほし。よき人さらなり、えせ者、下衆の際だに、なほゆかし。除目(じもく)のつとめて。かならず知る人のさるべき、なきをりも、なほ聞かまほし。
[現代語訳]
154段
早く知りたいもの
巻染(まきぞめ)、むら濃(むらご)、着物のしぼりなどを染めた時の仕上がり。人が子を産んだ時は、男の子か女の子かを早く聞きたい。身分の高い人は言うまでもないが、身分の低い者、下々の分際であっても、やはり知りたい。人事である除目(じもく)の翌朝。知っている人の今年の任命の可能性がない時でも、やはり人事(誰がどの役職・任地に任命されるか)については聞きたいものだ。
[古文・原文]
155段
心もとなきもの
人のもとに、とみの物縫ひにやりて待つほど。物見に急ぎ出でて、今々と、苦しう居入りて、あなたをまもらへたる心地。子産むべき人の、そのほど過ぐるまで、さるけしきもなき。遠き所より思ふ人の文を得て、かたく封じたる続飯(そくひ)などあくるほど、いと心もとなし。物見に遅く出でて、事なりにけり、白き笞(しもと)など見つけたるに、近くやり寄する程、わびしう、降りても去ぬべき心地こそすれ。
知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて、物言はせたる。いつしかと待ち出でたる児の、五十日、百日(ももか)などのほどになりたる、行く末いと心もとなし。
とみの物縫ふに、なま暗うて、針に糸すぐる。されどそれは、さるものにて、ありぬべき所をとらへて人にすげさするに、それも急げばにやあらむ、頓にもさし入れぬを、「いで、唯、なすげそ」と言ふを、さすがに、などてかと思ひ顔に、えささぬ、にくささへ添ひたり。
何事にもあれ、急ぎて物へ行くべきをりに、まづ我さるべき所へ行くとて、「ただ今おこせむ」とて出でぬる車待つほどこそ、いと心もとなけれ。大路行きけるを、さななりと喜びたれば、外様(ほかざま)に去ぬる、いとくちをし。まいて、物見に出でむとてあるに、「事はなりぬらむ」と人の言ひたるを聞くこそ、わびしけれ。
子産みたる後のことの久しき。物見、寺詣でなどに、諸共にあるべき人を乗せに行きたるに、車をさし寄せて、とみにも乗らで待たするもいと心もとなく、うち捨てても去ぬべき心地ぞする。また、とみにて煎炭(いりずみ)おこすも、いと久し。
人の歌の返し、とくすべきを、え詠み得ぬほども、心もとなし。懸想人(けそうびと)などは、さしも急ぐまじけれど、おのづからまた、さるべきをりもあり。まして、女も、ただに言ひかはすことは、ときこそはと思ふほどに、あいなく僻事(ひがごと)もあるぞかし。
心地のあしく、物の恐ろしきをり、夜の明くるほど、いと心もとなし。
[現代語訳]
155段
気持ちが落ち着かないもの(じれったいもの)
人の所に、急ぎの縫い物を頼んで、その出来上がりを待っている時。大勢の人が来る見物に急いで出かけて、今か今かと苦しく車の中に座り込んで、そちらを見守っている時の気持ち。子供を産む人が、出産予定の時間を過ぎても、赤ちゃんが産まれてくる様子がない時。遠い所にいる好きな人から手紙を貰って、固く封印をしている続飯(そくひ)などを開ける時、とてもじれったい。行列見物に遅れて出かけて、行列がもうやって来てしまって、看督長(かどのおさ)の白い杖などが見えるのに、近くに車を寄せていく間、情けなくて、車から降りて帰ってしまいたい気持ちがするものだ。
自分がいることを知られたくないと思う人が御簾の前にいるのに、前に座っている女房に文句を教えて、物を言わせて代わりに対応させている時。早く産まれないかなと待ち焦がれていた子供がやっと産まれて、五十日、百日のお祝いをするほどに育ったのは、この先の成長がとてもじれったい。
急ぎの着物を縫うのに、薄暗い中で、針に糸を通す時。しかし、それはそういうものだとして、針穴と思しき所を捕まえて人に糸を通してもらうのに、相手も急いでいるからだろうか、すぐには穴に通すことができなくて、「もういいです、もう通さなくても結構です。」と言うのだけれど、さすがに、何とかしたいと思っている顔で頑張っているのに糸が通らない、相手が憎らしくさえなってしまう。
何事であれ、急いで出かけるようになっている時に、先に自分がどこかへ行く用事があるといって、「すぐにお返ししますから」と言い残して出て行った車を待っているのは、とてもじれったい。大路に車が行っているので、帰ってきたかと喜んだのだが、よそに車が去ってしまうのは、とても悔しいものだ。まして、行列見物に出かけようとしている時に、「行列はすでにやってきたでしょう」と人が言ったのを聞くのは、情けないものだ。
子供を産んだ後、後産(胎盤など)が長く出てこない時。行列見物、お寺詣りなどに、一緒に行く人を乗せに行ったのに、車を横につけて、すぐには乗らないで待たせるのも落ち着かず、このまま打ち捨てて行ってしまいたい気持ちがする。また、急いでいり炭を起こすのも、とても時間がかかってもどかしい。
人の歌の返歌を、早くしなければならないのに、上手い歌が詠めない時も、じれったくて落ち着かない。相手が恋人などの時は、そんなに急がなくても良いだろうけれど、それでもまた早く返歌を返さなければならないこともある。まして、女同士でも、普段言葉をやり取りしている時には、早いほうが良いと思っているから、仕方なくとんでもない間違いを書いてしまうこともあるのだ。
病気で、物の怪が恐ろしい時、夜が明けるまでの間は、とても不安なものである。
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