清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『大輪など舞ふは、日一日見るとも飽くまじきを、果てぬる~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
137段
大輪(おおわ)など舞ふは、日一日(ひとひ)見るとも飽くまじきを、果てぬる、いと口惜しけれど、またあるべしと思へば頼もしきを、御琴かきかへして、このたびはやがて竹の後より舞ひ出でて、ぬぎ垂れたるさまどもは、いみじうこそあれ。掻練(かいねり)のつや、下襲(したがさね)などの乱れあひて、こなたかなたにわたりなどしたる、いで、更に言へば世の常なり。
このたびは、またもあるまじければにや、いみじうこそ、果てなむ事は口惜しけれ。上達部(かんだちめ)なども、皆続きて出で給ひぬれば、さうざうしく、口惜しきに、賀茂の臨時の祭は、還立(かえりだち)の御神楽(みかぐら)などにこそ、なぐさめらるれ。庭燎(にわび)の煙の細くのぼりたるに、神楽の笛のおもしろくわななき吹き澄まされてのぼるに、歌の声もいとあはれに、いみじうおもしろし。寒く冴えこほりて、打ちたる衣(きぬ)もつめたう、扇持ちたる手も冷ゆるともおぼえず。才(ざえ)の男召して、声引きたる人長(にんちょう)の心地よげさこそ、いみじけれ。
[現代語訳]
137段
大輪など舞うのは、一日中見ていても飽きることがないと思われるのに、それが終わってしまったのはとても残念だけれど、またもう一舞いがあると思うと安心するのだが、御琴を打ち鳴らして、今度はさっきの呉竹の台の後ろからそのまま舞い出て、衣の肩を脱ぎ垂らした舞人の恰好などは、とても素晴らしいものである。下襲の掻練(かいねり)のつやといい、下襲の裾などが乱れ合ったりして、あちこちでねじれたりしているのは、さぁ、言ってしまえば世の中の常なる有様である。
この後は、またもう一回の舞いはあるはずもないからだろうか、この舞いが終わってしまうことが非常に残念なことに思われる。上達部なども、みんな続いて席を立ってしまわれるので、物足りなくて残念であり、賀茂の臨時の祭りの時は、還立の御神楽などがあるので、気持ちが慰められる。庭燎(にわび)の煙が細く立ち昇っているが、神楽の笛が素晴らしい音で響いて、吹き澄まされた音が昇っていくのに、歌の声もとても風情があって非常に素敵である。寒くて凍るような感じだが、打ち衣も冷たく、扇を持っている手が冷えているのにも気づかない。才の男を呼び寄せて、声を長く引いた人長の気持ちよさそうな姿が立派である。
[古文・原文]
137段(終わり)
里なる時は、ただ渡るを見るが飽かねば、御社(おやしろ)まで行きて見るをりもあり。大いなる木どものもとに車を立てたれば、松の煙のたなびきて、火のかげに半臂の緒(はんぴのお)、衣(きぬ)のつやも、昼よりはこよなう勝りてぞ見ゆる。橋の板を踏み鳴らして、声合せて舞ふ程もいとをかしきに、水の流るる音、笛の音など、合ひたるは、まことに神もめでたしとおぼすらむかし。頭の中将といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、亡くなりて、上の御社の橋の下にあなるを聞けば、ゆゆしう、物をさしも思ひ入れじと思へど、なほ、このめでたき事をこそ、更にえ思ひ捨つまじけれ。
「八幡(やはた)の臨時の祭の日、名残こそいとつれづれなれ。など、帰りてまた舞ふわざをせざりけむ。さらば、をかしからまし。禄を得て、後よりまかづるこそ、口惜しけれ」など言ふを、上の御前に聞し召して、「舞はせん」と、仰せらる。「まことにやさぶらふらむ。さらば、いかにめでたからむ」など申す。うれしがりて、宮の御前にも、「なほ、それ舞はせさせ給へ、と申させ給へ」など、集りて、啓しまどひしかば、そのたび、帰りて舞ひしは、いみじう嬉しかりしものかな。さしもや有らざらむと、打ちたゆみたる舞人、御前に召すと聞えたるに、物にあたるばかり騒ぐも、いとど物狂ほし。
下にある人々のまどひのぼるさまこそ、人の従者、殿上人など見るも知らず、裳を頭にうちかづきてのぼるを、笑ふもをかし。
[現代語訳]
137段(終わり)
里に帰っている時は、勅使の一行が通っていくのを見るだけでは満足せず、御社まで行って勅使の列を見ることもある。大きな木の根元に車を立てると、松明の煙が棚引いて、その火の光に舞人たちの半臂の緒や下着のつやも、昼間よりはずっと勝っていて綺麗に見える。橋の板を踏み鳴らして、声を合わせて舞うところも、とても風情があるが、川の水が流れる音や笛の音などが合わさって聞こえるのは、本当に神様も素晴らしいとお思いになられるだろう。頭の中将という人が、毎年、舞人に選ばれて、この祭りを素晴らしいものだと思っていたのだが、亡くなってから、上の御社の橋の下にその霊がいるのだと聞けば、恐ろしいことである、物に対してそこまで思い入れをしないようにしようと思うけれど、やはり、この祭りの素晴らしさというものは、簡単にその思いを捨ててしまうことができないのだ。
「八幡の臨時の祭りの日は、祭りの後が本当に手持ち無沙汰なものになってしまう。どうして、帰ってからまた舞いの演技をしないのでしょうか。舞えば、面白いでしょうに。禄を頂いて、後ろから退出するのは、面白くないのです。」などと女房が言っているのを、帝がお聞きになられて、「舞わせよう。」とおっしゃられる。「本当でございますか。そうであれば、非常に素晴らしいことになるでしょう。」などと申し上げる。嬉しがって、中宮にも、「やはり、舞わさせて下さいと申し上げて下さい。」などと、みんなで集まって語り興奮していたが、その後、帰ってから舞ってもらったのは、とても嬉しいものであった。まさかそんな要請はあるまいと、気持ちを緩めていた舞人たちが、帝のお召しであると聞こえると、物にぶつからんばかりに騒がしくしたのも、非常に狂おしい馬鹿げた様子であった。
局にいた女房たちがこれを聞いて慌てて清涼殿に参上する様子は、人々の従者や殿上人などが見ているのにも構わず、裳を頭からかぶって参上するのを、人々が笑っているのもおかしい。
トップページ> Encyclopedia>
日本の古典文学> 現在位置
プライバシーポリシー