清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『暑げなるもの 随身の長の狩衣~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
119段
暑げなるもの
随身(ずいじん)の長の狩衣。衲(のう)の袈裟。出居(いでい)の少将。いみじう肥えたる人の、髪多かる。六、七月の修法の日中の時行ふ阿闍梨(あじゃり)。
[現代語訳]
119段
暑苦しそうなもの
随身(ずいじん)の長の狩衣。衲(のう)の袈裟。出居(いでい)の少将。とても太っていて、髪が多い人。六、七月の加持祈祷で、日中のお勤めをしている阿闍梨(あじゃり)。
[古文・原文]
120段
はづかしきもの
男の心のうち。いざとき夜居(よい)の僧。みそか盗人のさるべき隈(くま)に隠れ居て見るらむを、誰かは知らむ。暗きまざれに、偲びて物引き取る人もあらむかし。そはしも、同じ心にをかしとや思ふらむ。
夜居の僧は、いとはづかしきものなり。若き人の集り居て、人の上を言ひ笑ひ、謗り憎みもするを、つくづくと聞き集むる、いとはづかし。「あなうたて、かしかまし」など、御前近き人などの、けしきばみ言ふをも聞き入れず、言ひ言ひの果ては、皆うちとけて寝るもいとはづかし。
男は、うたて思ふさまならず、もどかしう心づきなき事などありと見れど、さし向ひたる人を、すかし頼むるこそ、いとはづかしけれ。まして、情(なさけ)あり、このましう人に知られたるなどは、愚かなりと思はすべうももてなさずかし。心のうちにのみならず、また皆、これが事はかれに言ひ、かれが事はこれに言ひ聞かすべかめるも、我が事をば知らで、かう語るは、なほこよなきなめりと、思ひやすらむ。いで、されば、少しも思ふ人に逢へば、心はかなきなめりと見えて、いとはづかしうもあらぬぞかし。いみじうあはれに心苦しう、見捨てがたき事などを、いささか何とも思はぬも、いかなる心ぞとこそ、あさましけれ。さすがに人の上をもどき、物をいとよく言ふ様よ。ことに頼もしき人なき宮仕へ人などをかたらひて、ただならずなりぬる有様を、清く知らでなどもあるは。
[現代語訳]
120段
自分が恥かしく感じてしまうもの・相手(恥の弱みを握られて頭が上がらないもの)
男の心の中。夜中に眠らない夜居の僧(よいのそう)。こそ泥がもっともな物陰に隠れて見ているのを、誰が気づくだろうか。暗闇に紛れて、こっそりと物を盗み取ってしまう人もいるかもしれない。そういうのは、こそ泥も自分と同じような心を持っているのかと思ってしまうかもしれない。
夜居の僧は、とても頭が上がらない相手である。若い女房が大勢集まってそこに居て、人の噂話をして笑いあい、非難したり憎んだりするのを、一つ一つ丁寧に夜居の僧は聞いているのだから、恥ずかしくて頭が上がらない。「あぁ、困ったことだ。うるさい」などと、中宮の側近くに仕えている人が、怒って注意しても聞く耳を持たず、しゃべるだけしゃべりまくった後には、皆打ち解けた感じで眠ってしまうのも恥ずかしい。
男というのは、女が自分の思う理想通りにはならず、じれったくて気に入らないところがあると思っていても、向かい合った女には、おだてて期待を持たせるので、とても頭が上がらない。まして、女に優しい情緒を持ち、女に好かれる男と評判になっている人などは、女に冷たいと思われるような愚かな対応はすることがない。心の中で思うだけではなく、またこの女の悪口はあの女に言い、あの女の悪口はこの女にという感じで話して聞かせるようだが、自分が悪く言われているなどとは知らずに、このように他の女の悪口を語ってくれるのは、やはり私は特別な存在なのだろうと思ってしまう女もいるだろう。
いや、だから、少しでも思ってくれる男に逢うと、この男の心もそんな情けないものなのだろうと思われて、とても頭が上がらない恥ずかしい思いをすることはないものだ。男というものは、とても可愛そうな立場の女、可哀想に思えて、見捨てることができないような女を、全く何とも思わないような冷たい感じで見捨ててしまうものだが、いったいどんな心をしているのだろうかと、あきれ果ててしまう。自分のことは棚に上げて、他の男の薄情を非難し、物をよく喋りたてるのにもあきれる。特に、頼りにできる人などもいない宮仕えの女房などと仲良くなって、女が妊娠して身重になっているのに、何も知らないような顔をしている薄情な男さえあることだ。
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