『枕草子』の現代語訳:70

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『日うち暮るるほど詣づるは、籠るなめり。小法師ばらの~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

116段(続き)

日うち暮るるほど詣づるは、籠るなめり。小法師ばらの、持ちありくべうもあらぬおに屏風の高きを、いとよく進退して、畳などを打ち置くと見れば、ただ局につぼね立てて、犬防に簾さらさらとうち掛くる、いみじうしつきたり、安げなり。そよそよとあまた降り来て、大人だちたる人の、いやしからぬ声の忍びやかなるけはひして、帰る人にやあらむ、「そのこと、危ふし。火のこと、制せよ」など言ふもあなり。

七つ八つばかりなる男子(おのこ)の、声愛敬(あいぎょう)づき、おごりたる声にて、侍のをのこども呼びつき、物など言ひたる、いとをかし。また、三つばかりなるちごの、寝おびれてうちしはぶきたるも、いとうつくし。乳母(めのと)の名、母など、うち言ひ出でたるも、誰ならむと、知らまほし。

夜一夜(よひとよ)ののしり行ひ明かすに、寝も入らざりつるを、後夜(ごや)など果てて、少しうち休みたる寝耳に、その寺の仏の御経を、いと荒々しう尊くうち出で読みたるにぞ、いとわざと尊くしもあらず、修行者だちたる法師の蓑うち着たるなどがよむななりと、ふとうち驚かれて、あはれに聞ゆ。

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[現代語訳]

116段(続き)

日も暮れる頃にお参りするのは、参篭しようという人のようだ。小坊主たちが持ち運べそうにもない鬼屏風の丈の高いものを、とても上手く持って移動させて、畳などを置いたように見えたら、すぐに局へと作り上げて、犬防に簾をさらさらと掛ける、その手順はとても手馴れていて、心地良いものだ。そよそよと大勢の人が衣擦れの音をさせて降りてきて、年配の女房らしい人の上品な声が、周囲を憚った様子で聞こえて、話している相手はこれから帰る女房なのだろうか、「そのことは、危ないですよ。火事には十分に注意しなさい」などと言っている。

七つ八つほどの男の子が、声に愛らしさが感じられるが、高貴な家柄の若様らしく高慢な威張った声色で、家来の男たちを呼んでまとわりつき、何か言っている姿は、とても面白い。また、三つほどの幼児が、寝ぼけて咳をしたのも、とても可愛らしい。その幼児が乳母の名前や母親の名前をしゃべっているのも、親は誰なのだろうかと、知りたくなってしまう。

一晩中、勤行の騒ぎが夜が明けるまで続き、眠りに入ることも出来なかったのだが、後夜の勤行などを終えて、少し横になって休んだ時の寝耳に、そのお寺のご本尊のお経を、とても荒々しく大声でありがたい感じで詠んでいるのが聞こえてきたので、これはとてもありがたいというお経ではなくて、諸国を流浪する修行者のような坊さんで蓑をまとっているような貧しい者が詠んでいるのだろうと、ふと驚いて、悲しげなお経の声に聞こえた。

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[古文・原文]

116段(終わり)

また、夜などは籠らで、人々しき人の、青鈍(あおにび)の指貫(さしぬき)の綿入りたる、白き衣どもあまた着て、子どもなめりと見ゆる若き男のをかしげなる、装束着たる童などして、侍(さぶらひ)などやうの者ども、あまたかしこまり囲遶(いにょう)したるも、をかし。かりそめに屏風ばかりを立てて、額(ぬか)などすこしつくめり。顔知らぬは、誰ならむと、ゆかし。知りたるは、さなめりと見るも、をかし。若き者どもは、とかく局どものあたりに立ちさまよひて、仏の御方に目も見入れ奉らず、別当など呼び出でて、打ちささめき、物語して出でぬる、えせ者とは見えず。

二月つごもり、三月朔日(ついたち)ころ、花盛りに籠りたるも、をかし。清げなる若き男どもの、主と見ゆる二、三人、桜の襖(あお)、柳など、いとをかしうて、くくり上げたる指貫の裾もあてやかにぞ見なさるる。つきづきし男に、装束をかしうしたる餌袋(えぶくろ)抱かせて、小舎人童(こどねりわらわ)ども、紅梅、萌黄の狩衣、色々の衣、おし摺りもどろかしたる袴など着せたり。花など折らせて、侍めきて、細やかなる者など具して、金鼓(ごんぐ)打つこそ、をかしけれ。さぞかしと見ゆる人もあれど、いかでかは知らむ、打ち過ぎて去ぬる(いぬる)もさうざうしければ、「気色を見せましものを」など言ふも、をかし。

かやうにて、寺にも籠り、すべて例ならぬ所に、ただ使ふ人の限りしてあるこそ、甲斐なう覚ゆれ。なほ同じほどにて、一つ心に、をかしき事もにくきこともさまざまに言ひ合はせつべき人、かならず一人二人、あまたも誘はまほし。そのある人の中にも、口をしからぬもあれども、目馴れたるなるべし。男なども、さ思ふにこそあらめ。わざと尋ね呼びありくは。

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[現代語訳]

116段(終わり)

また、夜に籠ったりしないで、かなりの身分がある人が、青鈍(あおにび)の指貫(さしぬき)の綿が入った着物に、白い衣などを沢山重ねて着て、子供に見える若い男の素晴らしい人や派手な装束を着た少年などを連れて、侍のような連中が、大勢で畏まって周囲に侍っているのも、面白い光景である。申し訳程度に屏風を立てて、礼拝などを少しするようである。顔を知らない相手の時は、誰なのだろうと、知りたくなる。知っている人だと、あの人だなと思って見るのも、面白い。若い者たちは、とにかく女性たちのいる局の辺りをうろうろと歩いて、仏様のご本尊には目もくれず、お寺の長官などを呼び出して、何かを囁き話をして帰っていくが、(女性ばかりに関心を向けていて)良い身分の男たちには見えない。

二月の末、三月の一日頃、桜の花盛りに籠ったのも面白い。清らかな若い男たちの、主人のように見える二~三人が、桜襲ねの狩衣や柳襲ねのものなど、とても素敵な恰好で、くくり上げた指貫の裾も上品に見えてしまう。利口そうな男に、しゃれた飾りをつけた餌袋を抱えさせて、お供の少年たちには、紅梅や萌黄の狩衣、色々な内衣、乱れ模様を摺った袴などを着せている。桜の花などを折らせて、侍のような感じのほっそりした者などを引き連れて、お堂の金鼓(ごんぐ)を打つ姿も面白い。誰かが分かる人もいるけれど、向こうはこちらが籠っていることを知らず、ただ通り過ぎるだけなのでそれも寂しいと思い、「ここにいる気配を見せたいのだが」などと籠っている女房が言うのも、面白い。

このようにお寺に籠ったり、普段は行かない所に行く時に、ただいつもの使用人だけを連れて行くのは、行く甲斐がないことのように思われる。やはり同じくらいの身分の人で、気持ちを一つにして、面白いこともつらいことも様々に言い合うことができるような人を、必ず一人か二人、あるいは大勢でも誘って連れて行きたいものだ。使用人の中にも、ダメではない話せるような相手はいるけれど、あまりに普段から見慣れてしまっているのだ。男の人たちもそのように思うのだろう。わざわざ、一緒に行く人を探して誘い回っているのだから。

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