『枕草子』の現代語訳:59

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『職におはしますころ、八月十よ日の月明き夜~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

96段

職(しき)におはしますころ、八月十よ日の月明き夜、右近の内侍(ないし)に琵琶弾かせて、端近くおはします。これかれ、もの言ひ、笑ひなどするに、廂(ひさし)の柱に寄りかかりて、ものも言はでさぶらへば、「など、かうも音もせぬ。もの言へ。さうざうしきに」と、おほせらるれば、「ただ秋の月の心を見はべるなり」と申せば、「さも言ひつべし」と、おほせらる。

[現代語訳]

96段

職の御曹司にいらっしゃる頃、八月十日過ぎの月の明るい夜、中宮は右近の内侍に琵琶を弾かせて、端っこのほうにいらっしゃる。女房たちの誰彼は話をしたり笑ったりしているが、私は廂の間の柱に寄りかかって、物も言わずに侍っていたところ、「どうして、そう静まり返っているのか。何か言いなさい。場が淋しいではないか」とおっしゃるので、「ただ秋の月の情趣を見ていたのでございます」と申し上げると、「そういう風にも言うことができますね」と中宮様がおっしゃられる。

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[古文・原文]

97段

御方々、君たち、上人(うえびと)など、御前に人のいと多く侍へば、廂(ひさし)の柱に寄りかかりて、女房と物語などして居たるに、物を投げ賜はせたる、あけて見れば、「思ふべしや、いなや、人、第一ならずは、いかに」と書かせ給へり。

御前にて物語などする序(ついで)にも、「すべて人に一に思はれずは、何にかはせむ。ただいみじう、なかなかにくまれ、あしうせられてあらむ。二、三にては、死ぬともあらじ。一にてを、あらむ」など言へば、「一乗の法ななり」など、人々も笑ふ事の筋なめり。

筆、紙なと賜はせたれば、「九品蓮台(くほんれんだい)のあひだには、下品といふとも」など書きてまゐらせたれば、「無下に思ひ屈じ(くんじ)にけり。いとわろし。言ひとぢめつる事は、さてこそあらめ」と、のたまはす。「それは、人にしたがひてこそ」と申せば、「そが、わろきぞかし、第一の人に、また一に思はれむとこそ、思はめ」と、仰せらるる、いとをかし。

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[現代語訳]

97段

中宮のご兄弟、貴公子、殿上人など、中宮の御前に人が大勢いらっしゃっているので、私は廂の間の柱に寄りかかって女房と話などをしていた所、物を投げて寄越されたので、開けて見ると、「可愛がってあげようか、どうだ、お前が第一の女というわけにはいかないがどうかな」とお書きになっておられる。

御前で雑談などをするついでに、「まったく男に第一の女として愛されるのでなければ、いったい何になるというのか。ただ不快であり、そんなことなら憎まれて悪く扱われたほうがいいだろう。二番目、三番目というのなら、死んだほうがマシだ。一番目の女でいたいのです」などと言うと、「(一人だけしか乗れない)一乗の法ということですね」などと人々が笑うような筋の話である。

筆や紙などをくださったので、「九品蓮台の間では、下品といえども」などと書いて差し上げたら、「むやみに思いが弱い感じですね。とても情けない。言い切ってしまった事は、そのように初志を貫くべきです」と中宮様がおっしゃられた。「それは、相手の人によることでございます」と申し上げると、「それが、情けないのじゃ。最も好きな人に、一番目の女として思われたいと思うべきでしょう」とおっしゃるのは、とても面白い(最もなご意見である)。

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