『枕草子』の現代語訳:56

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『あさましきもの 刺櫛すりてみがくほどに~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

93段

あさましきもの

刺櫛(さしぐし)すりてみがくほどに、物に突き障へて(つきさえて)折りたるここち。車のうちかへりたる。さるおほのかなる物は、所狭く(ところせく)やあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。

人のために恥づかしうあしきことを、つつみもなく言ひゐたる。かならず来なむと思ふ人を、夜一夜起き明し待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見上げたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。

見すまじき人に、ほかへ持て行く文見せたる。無下に知らず見ぬことを、人のさし向ひて、あらがはすべくもあらず言ひたる。物うちこぼしたるここち、いとあさまし。

[現代語訳]

93段

あきれてしまうもの(情けないもの)

刺櫛を擦って磨くうちに、何かにぶつかって折ってしまった時の気持ち。牛車が転覆してしまった時。そんな大きな物は、所狭しとばかりに安定していると思っていたのに、(バランスを崩してひっくり返ってしまった時には)ただ夢のような感じがして、情けなくてあっけないものだ。

人が恥ずかしくなるような悪口を、遠慮もせずに言っている時。必ず来るだろうという男を、一晩中、起き明かして待って、明け方になって少し忘れてしまって、寝入ってしまったところ、烏がとても近くでカーカーと鳴くので、空を見上げたら、もう昼になってしまっている、とても情けない。

見せてはならない人に、他に持っていく手紙を見せている。全くこちらが知らないことや見ていないことを、人が差し向かいで議論する間もないほどに勢い良く喋ってくる。物をひっくり返してこぼした気持ち、とても情けないものだ。

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[古文・原文]

94段

くちをしきもの

五節(ごせち)、御仏名に、雪降らで、雨のかき暮らし降りたる。節会(せちえ)などに、さるべき御物忌(おんものいみ)のあたりたる。いとなみ、いつしかと待つ事の、さはりあり、にはかにとまりぬる。遊びをもし、見すべきこともありて、呼びにやりたる人の来ぬ、いとくちをし。

男も女も法師も、宮仕へ所などより、同じやうなる人諸共(もろとも)に、寺へ詣で(もうで)、物へも行くに、好ましうこぼれ出で、用意よくいはばけしからず、あまり見苦しとも見つべくぞあるに、さるべき人の、馬にても車にても行きあひ、見ずなりぬる、いとくちをし。わびては、好き好きしき下衆などの、人などに語りつべからむをがな、と思ふも、いとけしからず。

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[現代語訳]

94段

残念なもの

五節、御仏名に、雪が降らずに、雨が長々と降った時。晴れやかな節会などに、然るべき宮中の物忌がぶつかってしまった時。準備して今か今かと待っていた催しが、支障があって、急に中止された時。遊びたかったり、見せたいものがあって、呼びにやった人が来ないのは、とても残念である。

男でも女でも法師でも、宮仕への場所などから、似通った気の合う人が一緒にお寺にお参りしたり、一緒にどこかに行くのに、派手な衣装が車からこぼれ出ている。その衣装は良く言っても常識はずれであり、一般の人からは見苦しいとさえ思われるものだが、然るべき人(衣装の嗜好・魅力を知る人)が、馬でも車でも通り過ぎてしまって、その派手な衣装を見ないままに終わったのはとても残念である。情けない話としては、物好きな下層の人で噂話をするような口の軽い者でもいいから、(その目立つ衣装を見てもらいたいのでどこかで誰かと)行き合わないかななどと思うのも、とても常識外れである。

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