清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『それを二つながら取りて、急ぎまゐりて~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
133段(終わり)
それを二つながら取りて、急ぎまゐりて、(藤三位)「かかる事なむ侍りし」と、上もおはします御前にて語り申し給ふ。宮ぞ、いとつれなく御覧じて、「藤大納言の手のさまにはあらざめり。法師のにこそあめれ。昔の鬼のしわざとこそおぼゆれ」など、いとまめやかにのたまはすれば、「さは、こは誰(た)がしわざにか。好き好きしき心ある上達部(かんだちめ)、僧綱(そうごう)などは誰かはある。それにや、かれにや」など、おぼめきゆかしがり申し給ふに、
上の、(帝)「このわたりに見えし色紙にこそ、いとよく似たれ」と、うちほほ笑ませ給ひて、今一つ、御厨子(みづし)のもとなりけるを取りてさし賜はせたれば、「いで、あな心憂(こころう)。これ、おほせられよ。あな頭痛や(かしらいたや)。いかで、とく聞き侍らむ」と、ただ責めに責め申し、恨み聞えて、笑ひ給ふに、やうやう仰せられ出でて、(帝)「使(つかい)に行きける鬼童(おにわらわ)は、台盤所(だいばんどころ)の刀自(とじ)といふ者のもとなりけるを、小兵衛(こひょうえ)が語らひ出だして、したるにやありけむ」など、仰せらるれば、宮も笑はせ給ふを、引きゆるがし奉りて、「など、かく謀らせおはしまししぞ。なほ疑ひもなく、手を打ち洗ひて伏し拝みたてまつりしことよ」と、笑ひねたがり居給へるさまも、いとほこりかに愛敬(あいぎょう)づきて、をかし。
さて、上の台盤所にても、笑ひののしりて、局におりて、この童尋ね出でて、文取り入れし人に見すれば、「それにこそ侍るめれ」と言ふ。「誰(たれ)が文を、誰が取らせし」と言へど、ともかくも言はで、しれじれしう笑みて、走りにけり。大納言、後に聞きて、笑ひ興じ給ひけり。
[現代語訳]
133段(終わり)
それを二つとも手にして、急いで参上して、「こういうことがございました」と、帝もいらっしゃる御前で語って申し上げる。中宮が、それをとてもさりげなく御覧になられて、「藤大納言の筆蹟ではないようですね。法師の筆蹟なのでしょう。昔話に出てくる鬼の仕業のように思われます。」などと、とても生真面目な感じでおっしゃるので、「それでは、これは誰の仕業なのでしょうか。物好きなことをしそうな上達部、高僧などいったい誰がいるでしょうか。あの方かしら、この方かしら」などと、納得できない感じで歌の主を知りたがって申し上げると、
帝が、「ここら辺にあった色紙に、これはとても良く似ていますね」と、我慢できずに微笑みなされて、もう一枚、御厨子の中にあったものを取り出して手渡して下さったので、「まぁ、何と情けないこと。このようになさる理由をおっしゃって下さい。あぁ、頭が痛い。どうか、すぐにでもお聞かせください。」と、ひたすら責めるように申し上げて、お恨みが聞こえたり、お笑いになったりで、やっとのことで返事をおっしゃられることになり、「そちらに使いに行かせた鬼子のような童子は、台盤所の刀自とかいう者の召使いなのだが、小兵衛が上手く説得して使いに出させて、仕組んだことのようですよ。」などとおっしゃられるので、中宮もお笑いになっているのを、藤三位は引っ張って揺さぶって、「どうして、こんな謀(はかりごと)をされたのですか。私は何も疑うこともなく、手を洗って清めて伏して拝んでしまったのですよ。」と笑いながら悔しがっておられる様子も、とても陽気で愛敬のある感じで、面白い。
さて、台盤所でも、笑ったり大騒ぎしたりして、局に下がって、あの使いの子供を探し出して、手紙を取り入れた女房に見せると、「その子供でございました。」と言う。「誰の手紙を、誰がお前に渡したのか。」と聞いたが、何も返事は言わずに、白々しく笑って、走り去ってしまった。大納言は、後でこれを聞いて、笑って面白がられた。
[古文・原文]
134段
つれづれなるもの
所去りたる物忌(ものいみ)。馬下りぬ双六(すごろく)。除目(じもく)に司得ぬ人の家。雨うち降りたるは、まいていみじう徒然(つれづれ)なり。
135段
つれづれなぐさむもの
碁。双六。三つ、四つのちごの、物をかしう言ふ。また、いと小さきちごの物語し、たがへなどいふわざしたる。くだもの。男などの、うちさるがひ、物よく言ふが来たるを、物忌なれど、入れつかし。
[現代語訳]
134段
手持ち無沙汰なもの(所在ないもの)
よその場所でする物忌。目が出ないで駒(馬)が進まない双六。除目で官位を得られなかった人の家。それで雨の降っている日などは、ましてとても所在がないものだ。
135段
手持ち無沙汰を慰めるもの(所在なさを紛らわせるもの)
碁。双六。三つか四つの子供が、可愛らしくしゃべっている様子。また、とても小さい子供が一生懸命話して、「お間違え(言葉が間違っているよ)」などと言われている様子。くだもの。男で冗談が上手くて、おしゃべりが好きなような人が来ると、物忌の時でも、家に入れかねない。
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