清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『御返りまゐらせて、すこしほど経てまゐりたる、いかがと~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
138段(続き)
御返りまゐらせて、すこしほど経てまゐりたる、いかがと、例よりはつつましくて、御几帳(ごきちょう)にはた隠れてさぶらふを、「あれは、今まゐりか」など、笑はせたまひて、「にくき歌なれど、このをりは、さも言ひつべかりけりとなむ思ふを、おほかた見つけでは、しばしもえこそ慰むまじけれ」など、のたまはせて、かはりたる御気色もなし。
童に教へられしことなどを啓すれば、いみじう笑はせ給ひて、「さる事ぞある。あまりあなづる古事(ふること)などは、さもありぬべし」など、仰せらるるついでに、「謎々(なぞなぞ)合はせしける、方人(かたうど)にはあらで、さやうの事にらうらうじかりけるが、『左の一は、おのれ言はむ。さ思ひたまへ」など頼むるに、さりともわろき事は言ひ出でじかしと、頼もしくうれしうて、皆人々作りいだし、選り定むるに、その言葉を、『ただまかせて、残したまへ。さ申しては、よも口惜しくはあらじ』と言ふ。げにと、推しはかるに、日いと近くなりぬ。
『なほこのこと、のたまへ。非常に、同じ事もこそあれ』と言ふを、『さは、いさ知らず。な頼まれそ』など、むつかりければ、おぼつかなながら、その日になりて、皆、方の人、男、女、居分かれて、見証(けんしょう)の人など、いと多く居並みて(いなみて)、合はするに、左の一、いみじく用意してもてなしたるさま、いかなる事を言ひ出でむと見えたれば、こなたの人、あなたの人、皆心もとなく打ちまもりて、『なぞ、なぞ』と言ふほど、心にくし。『天に張り弓』と言ひたり。
[現代語訳]
138段(続き)
ご返事を差し上げてから、少し日にちが経って参上したが、その後どうなっただろうかと、いつもよりは気後れしていて、御几帳に半分隠れるようにして侍っている私を御覧になられて、「あそこにいる者は、新参者か」などと中宮様がお笑いになられて、「憎たらしい歌だけれど、こういった時には、このように言うのももっともなことだと思われるけれど、大体お前が側にいなくては、少しの間も気持ちが慰められないのだ」などとおっしゃられて、中宮様のご機嫌が変わっている様子もない。
女の子に歌の上の句を教えられたことなどをお伝えすると、大いにお笑いになられて、「(和歌に精通しているお前であっても)そんなこともあるのだな。あまりに有名で知っていて当たり前と侮っている古歌などは、逆にそういったことがあるものなのです」などとおっしゃるついでに、「謎々合わせをしたが、方人の役柄の人ではなくて、そういった事に詳しくて上手な人が、『左の一番には、私が謎を出しましょう。そのように思っていて下さい』などと頼もしい感じで、そういうからには悪い謎は言い出したりしないだろうと、皆が頼もしく嬉しく思って、皆がそれぞれ謎を作って出すのを選んで決める時に、その言葉を、『全部私に任せて、謎を残しておきましょう。私が申し上げるからには、皆さんに残念な思いはさせませんから』と言う。なるほどと、思っているうちに、本番の日が近くなってきた。
『やはりこの謎を言いなさい。本当に同じ謎が出てしまうこともあるのだから』と言うと、『そんなことを言うなら、私は知りません。もう期待しないで下さい』などと機嫌を悪くするので、はっきりしないままその日になって、左右の男女がみんな向き合って座り、立会い役の人などがたくさん並んで座っていて、勝負することになったのだが、一番左の人の、とてももったいぶった自信ありげな様子は、どんな謎を出してくるのかと思われたので、左方の人も、その敵の右方の人も、みんな落ち着かない気持ちで見守っていたが、『なぞ、なぞ』と言う姿などは、(自信たっぷり過ぎて)憎たらしい。(そして、何と誰でも子供でも知っているなぞなぞである)『天に張り弓』と言ったのです。
[古文・原文]
138段(終わり)
右方(みぎかた)の人は、いと興ありと思ふに、こなたの人は、物もおぼえず、皆にくく、愛敬(あいぎょう)なくて、あなたに寄りて、殊更に負けさせむとしけるを、など、片時のほどに思ふに、右の人、『いと口惜しく、烏滸(おこ)なり』と、うち笑ひて、『や、や。さらにえ知らず』とて、口を引き垂れて、知らぬことよとて、猿楽しかくるに、寿(かず)させつ。『いとあやしきこと。これ知らぬ人は、誰かあらむ。更に寿(かず)ささるまじ』と論ずれど、『知らず、と言ひてむには、などてか、負くるにならざらむ』とて、次々のも、この人なむ、皆、論じ勝たせける。
いみじく人の知りたることなれども、おぼえぬ時は、しかこそはあれ。『何しにかは、知らずとは言ひし』と、後に恨みられけること」など、語りいでさせ給へば、御前なる限り、「さ思ひつべし。口惜しう答へけむ(いらえけん)。こなたの人の心地、うち聞きはじめけむ、いかがにくかりけむ」なんど笑ふ。これは忘れたることかは。ただ皆知りたることとかや。
[現代語訳]
138段(終わり)
右方の人は、(とても簡単ななぞなぞなので)とても面白いこれは勝てると思ったが、左方の人は、何も考えられず、みんな憎く思って、愛敬もなくなって、敵側に味方してわざとこちらを負けさせようとしたなどと一瞬思ったのですが、右方の人が、『非常に情けない、馬鹿らしいなぞなぞだ』と笑って、『おやおや、このなぞなぞの答えは知りませんね』と言って、口を引き下げて、知らないことだと、ふざけているのに乗っかって、寿(かず)をささせてしまった。『それはおかしなことだ。このなぞなぞを知らない人が誰かいるでしょうか。(分からないという)寿をおさしになるべきではない』と抗議したけれど、『分からないと言っているのですから、どうして負けにならないことがありましょうか』と言って、次々続く勝負でも、この人がすべて議論して相手を勝たせてしまったのだった。
よく人が知っていることだけれど、思い出せないという時は、このようなものなのです。『どうして、分からないなどと言ったのですか』と、後でみんなから恨まれたことでした」などというお話をされると、御前に侍っている女房はみんな、「それは残念に思ったことでしょう。残念なお答えをしたものです。味方の左方の人の気持ちは、その答えを聞き始めた時には、どんなに憎たらしく思ったでしょう」などと言って笑う。これは本当に答えを忘れていたわけではない。ただみんながよく知り過ぎていることについての失敗談の例なのだが。
トップページ
日本の古典文学>現在位置
プライバシーポリシー