『荘子(内篇)・斉物論篇』の15

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(続き)

瞿鵲子(くじゃくし)、長梧子(ちょうごし)に問うて曰く、「吾れ諸を夫子(ふうし=せんせい)に聞けり。聖人は務(しごと)に従事せず、利を就めず(もとめず)、害を違えず(たがえず)、求めらるるを喜ばず、道に縁う(したがう)をつとめず、謂うことなきも謂うことあり、謂うことあるも謂うことなく、塵垢(世俗)の外で遊ぶと。而うして夫子は以て孟浪る(あふれる)言(ことば)と為せども、我は以て道を妙れる(さとれる)行いと為すなり。君子は以て奚若(いかん)と為す。」と。

長梧子曰く、「是れ黄帝(こうてい)の聴いて惑いし所なり。而る(しかる)を丘(きゅう)や何ぞ以て之を知るに足らん。且つ汝も亦(また)大だ(はなはだ)早計なり。卵を見て時夜(とき)を告げるを求め、弾(たま)を見て鳥炙(やきとり)を求むるとは。予(われ)嘗み(こころみ)に汝のために之を妄言せん。汝、以て之を妄聴(もうちょう)せよ。奚(いかん)。

聖人は日月と旁び(ならび)、宇宙を挟み、其れと吻合(ふんごう)することを為して、其の滑れて(みだれて)昏き(くらき)に置きて、隷しき(いやしき)を以て相尊ぶ。衆人は役役(あくせく)とするも、聖人は愚かにかくれ、万き歳(かぎりなきとき)を参めて(きわめて)一すら(ひたすら)に純を成す。万物を尽く(ことごとく)然りとし、是を以て相蘊む(あいつつむ)。

[現代語訳]

瞿鵲子(孔子の弟子)は長梧子に尋ねて言った。「私はこれを孔子先生に聞いた。聖人(超越者)は世俗の仕事に従事せず、利益を求めず、損害を避けず、人に求められることを喜ばない、道に従うことにも務めず、言うことがなくても言うことがあり、言うことがあっても言うことがないのと同じで、その心は世俗の外で自由に遊んでいる。しかし、孔子自身はこういった聖者(超越者)は観念的なでたらめな言葉によって作られたものに過ぎないとおっしゃるのだが、私はこれこそが道を悟った成道者の行いだと思っている。あなたはどう思われますか?」と。

長梧子は答えた。「これは古代の賢者の黄帝が聴いてから迷った所である。それなのに、丘(孔子)ごときがどうして絶対者について知ることができるだろうか。またあなたも非常に早計である。卵を見て朝の到来を告げることを求め、鳥を撃つ弾を見て焼き鳥を求めようとするの類である。私が試しにあなたのために、絶対者について妄言に近いものになるが話そう。あなたは、この話を適当にお聴きなさい。どうですか?」

聖人(絶対者)は太陽・月と並ぶ超越的存在で、宇宙を小脇に挟み、その宇宙と一体化すること為して、乱れて暗い不明の知恵に我が身を置いて、自分を奴隷の地位に置いてすべての他者を尊重する。世俗の庶民は競争や利益であくせくとしているが、聖人は愚かさに隠れている、聖人は永遠の時間に参加して時間と一つになり純粋な存在となる。聖人は万物をすべてそれで良いと肯定し、これによって万物を包摂する。

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(つづき)

予(われ)悪んぞ(なんぞ)生を説ぶ(よろこぶ)ことの惑いに非ざるを知らんや。予悪んぞ死を悪む(にくむ)ことの弱くして喪い(さすらい)、帰るを知らざる者に非ざるを知らんや。麗姫(りき)はもと艾(がい)の封人(さきもり)の子なり。

晋の国の始めて之を得しとき、涕く泣(なくなみだ)は襟を沾せり(うるおせり)。其の王の所に至り、王と筐床(ふしど=ねどこ)を同じくし、芻・豢(うま・ぶた)を食うに及びて、而る後にその泣きしを悔いたり。予(われ)悪んぞ(なんぞ)夫の死者の其の始めのとき、生をもとめしを悔いざるを知らんや。

夢に酒を飲む者は、旦(あさ)となれば哭(こえ)をだして泣き、夢に哭あげて泣く者は、旦に田猟(かり)を楽しむ。其の夢みるに方りて(あたりて)は、其の夢なるを知らざるなり。夢の中に又その其の夢を占い、覚めて而る後に其の夢なりしを知る。且つ大いなる覚め有りて而る後に、此れ其の大いなる夢なりしを知るなり。

而るに愚かなる者は自ら以て覚めたりと為し、窃窃然(せつせつぜん=こざかしい)として之を知れりとなし、君となし牧(しもべ)となす。固くな(かたくな)なるかな。丘と汝と皆夢なり。予の汝を夢と謂うも亦夢なり。是れ其の言や、其の名を弔詭(ちょうき)と為す。万世の後にして、一たび大いなる聖(ひじり)のふしぎを解くすべを知れる者に遇う(あう)も、是れ旦け暮れ(あけくれ)之に遇うなり。

[現代語訳]

長梧子は言う。私はどうして人間が生を喜ぶことを疑わないのかが分からないのだ。私はどうして人間が死を憎むのか、若くして故郷を忘れてさすらって、帰る場所を知らなくなるのかが分からない。美人の麗姫(りき)は元々、艾(がい)の封人(さきもり)の子であった。

晋の国ではじめて彼女を得た時、(故郷から連れ去られてしまうという悲しみで)泣く涙は襟を濡らしていた。しかし晋王の所に着いて、王と寝床を同じにし、馬や豚のご馳走を食べると、その後は(連れ去られてひどい目に遭わされると)泣いたことを後悔したのである。この先例と同じように、どうして死者が死ぬ前の時に、生を求めてあがいたことを後悔しないことが分かるのだろうか(生と死を比べて死が悪いものだと絶対的に断言できるとは限らないのだ)。

夢で酒を飲んで楽しんだ者は、朝になれば(厳しい現実を前にして)声を出して泣き、夢で声を上げて泣いた者は、朝になれば狩りを楽しもうと思うものである。その夢を見ている時には、それが夢であるということは分からないのである。夢の中でまたその夢を夢判断して占い、目が覚めた後にそれが夢だったのだと知る。かつ人生で大いなる目覚めがあった後に、その過ぎ去った人生が大いなる夢でもあったことを知る。

それなのに、愚者は自らを目が覚めていると語り、小賢しい知恵を用いて人生を知っていると称し、好きな者を君主にして嫌いな者を奴隷にする。頑迷なものである。丘(孔子)とあなたが見ているものはみんな夢である。あなたを夢だと言っている私もまた夢なのである。この私のすべてを夢とする言葉は、一般的には世俗の常識と大きく異なった詭弁のように思われるだろう。万世のはるかに長い時間が流れた後に、一度は大いなる聖者(絶対者)のふしぎを解く手段を知っている者に遭遇するだろうが、この遭遇は明け暮れの瞬間のように非常に稀な遭遇なのである。

[解説]

孔子の弟子である瞿鵲子の質問に、大いなる瞑想者で絶対者についての智恵を持つ長梧子が答えている。師匠の孔子は、絶対者としての聖人は実在しないもので、観念的ででたらめな言葉の遊戯のようなものであると語るが、絶対者について知悉している長梧子は孔子の意見こそが頑迷な間違いであるとして論破していく。

晋王に掠奪された北方遊牧民の美女・麗姫(りき)が、その後に自らの人生を享楽的に謳歌して連れ去られる時の悲しみを否定したように、生を喜んで死を嫌うという人間の常識の正しささえ絶対的なものではなく、どちらにどう転ぶかは分からない。絶対者(聖人)とは是非善悪の分別をしない『普遍的な無分別知』に立脚した存在であり、一般庶民のような利益を求める競争や仕事にあくせくすることはなく、永遠の時間軸を得て宇宙を包摂するような広大無辺の認識能力を持っている。

長梧子は『夢と現実の境界線の曖昧さ』についても丁寧に説明しており、人間の人生も現実であると同時に(過ぎ去った人生は永遠に失われるという意味では)夢のようなものに過ぎないとしている。絶対の真理を刮目した絶対者(聖人)のみが、大いなる覚醒を体験して、『夢のような人生(現実の人生のような夢)』を脱却して、物事を分別して苦楽を感じることのない脱俗の永遠の境地に達することができるのである。

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荘子(生没年不詳,一説に紀元前369年~紀元前286年)は、名前を荘周(そうしゅう)といい、字(あざな)は子休(しきゅう)であったとされる。荘子は古代中国の戦国時代に活躍した『無為自然・一切斉同』を重んじる超俗的な思想家であり、老子と共に『老荘思想』と呼ばれる一派の原型となる思想を形成した。孔子の説いた『儒教』は、聖人君子の徳治主義を理想とした世俗的な政治思想の側面を持つが、荘子の『老荘思想』は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める思想である。

『荘子』は世俗的な政治・名誉から遠ざかって隠遁・諧謔するような傾向が濃厚であり、荘子は絶対的に自由無碍な境地に到達した人を『神人(しんじん)・至人(しじん)』と呼んだ。荘子は『権力・財力・名誉』などを求めて、自己の本質を見失ってまで奔走・執着する世俗の人間を、超越的視座から諧謔・哄笑する脱俗の思想家である。荘子が唱えた『無為自然・自由・道』の思想は、その後の『道教・道家』の生成発展にも大きな影響を与え、老子・荘子は道教の始祖とも呼ばれている。荘子は『内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇』の合計三十三篇の著述を残したとされる。

参考文献
金谷治『荘子 全4冊』(岩波文庫),福永光司・興膳宏『荘子 内篇』(ちくま学芸文庫),森三樹三郎『荘子』(中公文庫・中公クラシックス)

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