ハリー・スタック・サリヴァン(Harry Stack Sullivan,1892-1949)

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ハリー・スタック・サリヴァンの生涯と思想

ハリー・スタック・サリヴァン(Harry Stack Sullivan,1892-1949)『対人関係論』を精神分析学や精神医学に取り入れた人物として知られ、カレン・ホーナイやエーリッヒ・フロムと共に『新フロイト派(ネオ・フロイディアン)』に分類されています。ハリー・スタック・サリヴァンの対人関係論的な精神分析理論については、[『精神医学は対人関係論である』としたH.S.サリヴァンとシンタクシスを目指す対人関係様式の課題 ][H.S.サリヴァンの対人関係論的なパーソナリティ理論とカレン・ホーナイの神経症的葛藤に基づく性格分類]のブログ記事も参考にしてみて下さい。

H.S.サリヴァンはカトリック系アイリッシュの貧農の家に生まれたアイルランド移民であり、アメリカのコーネル大学で物理学を学んで、その後にシカゴの医学校で医師免許を取得しています。アイルランド移民としてアメリカにやってきたサリヴァンですが、幼少期の親子関係は余り恵まれたものではなく、頑固で共感性の乏しい父親とヒステリックで愚痴の多い母親の間で、心細く不安の多い少年時代を過ごしていたようです。『精神医学は対人関係論である』としたH.S.サリヴァンは、精神疾患の原因を『幼少期の親子関係の歪みや葛藤』に求めましたが、この理論にはサリヴァン自身の幼少期の抑圧的な体験(親子関係)が関係しているのではないかと考えられます。

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シカゴの医学校で医師免許を得たサリヴァンは、第一次世界大戦で軍医将校として働いた経歴を持っています。戦後の1922年にはシカゴのセント・エリザベス病院に就職しており、1922年の終わりには精神科医としての臨床経験を積む目的を持ってシェバード・エノット・プラット病院へと職場を変えています。1922年以降の時期に、アメリカ精神医学会の重鎮であったジョン・ホプキンス大学のA.マイヤーやセント・エリザベス病院の同僚のウィリアム・アランソン・ホワイトと知己を得ることになり、精神分析の理論や治療にも関心を示し始めました。

H.S.サリヴァンはシェバード・エノット・プラット病院で、統合失調症の患者に対して男性スタッフによる『集団精神療法(グループ・セラピー)』を試みていますが、サリヴァンは転移を引き起こしやすい女性スタッフ(女性看護師)よりも男性スタッフによる集団精神療法に高い可能性を見出していたようです。

サリヴァンは男性スタッフによる治療的アプローチを好む一方で『同性愛傾向』を持っていたとも言われますが、看護師育成の理論や劣等性の烙印を貼られた看護師の再教育などにも大きな功績を残しています。サリヴァンは看護師集団の中で優等生として大切に扱われてきた看護師よりも、どこか問題や欠点がある劣等性として扱われてきた看護師のほうが、社会生活や対人関係に適応できない統合失調症者の気持ちや苦悩により共感しやすいと考えたのでした。サリヴァンは1930年にニューヨークで精神科クリニックを個人開業して、統合失調症や強迫性障害の臨床・研究に精力的に取り組みますが、その膨大な臨床経験の成果をまとめたものが『分裂病は人間的過程である(日本ではみすず書房が出版)』でした。

H.S.サリヴァンは統合失調症が『脳機能の障害(中枢神経系の情報伝達障害)』『個人の心理的要因(他者と無関係な個人要因)』によって発症するという仮説を否定して、『他者との相互作用(コミュニケーション)の歪み・ストレス』が蓄積することによって統合失調症の発症リスクが高まると考えました。『分裂病は人間的過程である』というサリヴァンの主張は、統合失調症(旧精神分裂病)が個人の『イントラパーソナルな要因(個人内の心的過程)』によって起こるのではなく、『インターパーソナルな要因(個人間の対人関係の歪み)』によって起こるということを意味しています。

このサリヴァンの統合失調症の仮説は、ドーパミン系やセロトニン系の神経伝達障害によって統合失調症が発症するという『現在の科学的な精神医学(神経科学)』とは一致しない部分があります。しかし、親子関係のトラウマやコミュニケーションのダブルバインド(二重拘束)が、人間の人格構造や精神状態にネガティブな影響を与えるという視点は、現在の精神医学(臨床心理学)でも重要なものになっています。

H.S.サリヴァンは1930年代以降に、後進の精神医学教育や講演活動に力を入れ始めて、ウィリアム・アランソン・ホワイト財団を設立して、ワシントン精神医学校を開校したり、雑誌『精神医学』を発刊したりしています。日本ではH.S.サリヴァンの著作・講義は中井久夫によって多く翻訳されており、代表作である『現代精神医学の概念』をはじめとして『精神医学は対人関係論である』『精神医学の臨床的研究』『精神医学的面接』などを読むことができます。サリヴァンは1949年にユネスコ国際会議に出席しましたが、その帰り道のフランス・パリで客死しています。

H.S.サリヴァンの対人関係論的な精神医学理論

H.S.サリヴァンはS.フロイトの『性欲理論(リビドー仮説)』を否定して、社会的相互作用である『対人関係』によって精神現象や精神病理のメカニズムを解き明かそうとしました。

性格特性を分析する『パーソナリティ論』でも、H.S.サリヴァンは従来のスタティック(静態的)な類型論・特性論を否定しており、対人関係の相互作用に注目したパーソナリティ理論を考察しています。対人関係における『特徴的な性格行動パターン』『基本的な自己認識・他者理解・内的幻想』によって、人間のパーソナリティ(人格特性)はダイナミック(動態的)に規定されていくというのがサリヴァンの基本的な考え方でした。

サリヴァンは『フロイトの性的欲求』に代わる人間の基本的欲求として、『安全への欲求』『満足への欲求』の二つを上げています。サリヴァンの欲求分類は、人間の欲求を5段階に分類整理した『アブラハム・マズローの欲求階層説』よりもシンプルなものです。

人間が心身の健康を維持して安心して生きるために『必須の欲求』は何なのかという疑問から、『安全への欲求』と『満足への欲求』を導き出しているのです。『安全への欲求』とは、他者から自分の存在が承認されていて守られているという心理的な安全保障を求める欲求のことであり、『満足への欲求』とは、食欲・睡眠欲・性欲など身体的(生物学的)な要求を満たそうとする本能・生理システムに根ざした欲求のことです。

生存条件を満たして子孫を残すための『満足への欲求』は一次的欲求であり、自己存在を他者の承認によって強化して存在意義や安心感を得ようとする『安全への欲求』は二次的欲求として位置づけられます。『安全への欲求』よりも上位階層にある欲求には、A.マズローの自己実現欲求やC.G.ユングの個体化(普遍的無意識の意識領域への統合)がありますが、これらの利己的欲求と社会的承認を一致させようとする自己実現はサリヴァンの精神医学理論では重視されていません。サリヴァンは自己の潜在能力を開花させて『自分らしく生きる』という自己実現欲求を、経済条件・生活環境・文化要因に左右される相対的な欲求と見なしていたようです。

精神発達理論でサリヴァンが重視していたのは、『発達早期(幼児期)の親子関係』『プレ思春期のチャムグループ』でした。親子や仲間(児童期のチャム)との“人間関係の歪み・葛藤”を抱えたままで自己システムが発達することによって、精神疾患に罹りやすくなったり対人トラブルが起こりやすくなったりします。

サリヴァンは児童期における『仲間集団(学校生活)への適応性』『性格形成・精神疾患(神経症)』の相関関係を分析していますが、正統派の精神分析で見過ごされがちだった児童期(リビドーの潜伏期)の友人関係や学校生活の重要性を指摘したという功績があります。

サリヴァンは精神分析における『幼児期外傷・無意識による決定論』を反駁しています。つまり、8歳6ヶ月~12歳頃の“プレ思春期(前思春期)”の期間に良好な友人関係(友情体験)を築くことができれば、幼児期に受けた心的外傷(早期母子関係の歪み)を回復することができるというわけです。サリヴァンは幼児期決定論(無意識的決定論)を批判して、『精神発達の柔軟性・可塑性』を信頼して精神医療・心理臨床(カウンセリング)に取り組む必要性を強調しました。

サリヴァンの『親子関係・仲間関係の歪みを遷延させる病理モデル』は、現在のアダルトチルドレンの問題とも相関していますが、不安感や緊張感が支配する病的な意識状態のことをサリヴァンは『カタトニア』と呼んでいます。カタトニアは自我の統合性や思考の論理性が障害された不安の強い状態であり、カタトニアが悪化することによって統合失調症が発症したりその転帰(予後)が悪くなったりします。サリヴァンは心理臨床家による共感的・受容的な対人関係によって統合失調症の症状を改善できると考えており、適切な精神療法が実施されない場合には『妄想的解決』『破瓜的荒廃』といった好ましくない転帰を辿るとしました。

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