『竹取物語』の原文・現代語訳10

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『かぐや姫、翁に言はく、『この皮衣は、火に焼かむに~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

かぐや姫、翁に言はく、『この皮衣は、火に焼かむに、焼けずはこそ真ならめと思ひて、人の言ふことにも負けめ。「世になき物なれば、それを真と疑ひなく思はむ」とのたまふ。なほこれを焼きてこころみむ』と言ふ

翁、『それ、さも言はれたり』と言ひて、大臣に、『かくなむ申す』と言ふ。大臣答へて言はく、『この皮は、唐土にもなかりけるを、からうして求め尋ね得たるなり。何の疑ひあらむ』

『さは申すとも、はや焼きて見給へ』と言へば、火の中にうちくべて焼かせ給ふに、めらめらと焼けぬ。

『さればこそ異物(こともの)の皮なりけれ』と言ふ。大臣、これを見給ひて、顔は草の葉の色にて居給へり。かぐや姫は、『あなうれし』と喜びて居たり。かの詠み給ひける歌の返し、箱に入れて返す。

なごりなく 燃ゆと知りせば 皮衣 おもひの外に おきて見ましを

とぞありける。されば帰りいましにけり。

世の人々、『阿部の大臣、火鼠の皮衣持ていまして、かぐや姫にすみ給ふとな。ここにやいます』など問ふ。ある人の言はく、『皮は火にくべて焼きたりしかば、めらめらと焼けにしかば、かぐや姫あひ給はず』と言ひければ、これを聞きてぞ、とげなきものをば、『あへなし』と言ひける。

[現代語訳]

かぐや姫は翁に言った。『この火鼠の皮衣は、火で焼いてみて焼けなければ本物であると分かると思って、そうであれば大臣の求婚も受け入れることができます。おじいさんは「世の中で見たこともない物だから本物だろう」とおっしゃいますが、やはり私は実際に焼いて試してみたいと思います。』と。

翁は、『それももっともな事だ。』と言って、大臣に、『姫がこのように申しております。』と伝えた。大臣はそれに答えて、『この火鼠の皮衣は唐の国にも無かったものを、ようやく人に尋ねて探させ手に入れたものである。いったい何の疑いがあるというのか。』と言った。

『そこまで申すのなら、こちらも自信があるので、早く火で焼いてみなさい。』と言ったので、火の中に皮衣をくべて焼かせてみると、めらめらと燃えてしまった。

姫は、『こういう風に焼けてしまったので、偽物の皮衣だったようですね。』と言った。大臣は、この皮が燃える様子を見て、顔色が草の葉のように真っ青になって座ったままだった。かぐや姫は、『あぁ、嬉しい』と喜んで座っていた。先ほどの大臣の歌に対する返歌を、箱に入れて返した。

このように燃えてしまうと知っていたら、皮衣を火の中などに入れずに外に置いてその綺麗な様子を眺めていましたのに。

という歌であった。大臣はその歌を詠んで帰ってしまった。

世間の人々は、『阿部の大臣が火鼠の皮衣を持参し、かぐや姫と結婚することになったそうだ。もう姫はこちらにいらっしゃっているのだろうか。』などと言い合っている。翁の屋敷のある人が言った。『皮衣は火にくべたらめらめらと燃えてしまったので、姫は結婚はしませんでした。』と。これを聞いた人が、目的を遂げられずに落胆する様子を、『あへなし(阿部無し)』と言うようになったのである。

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[古文・原文]

大伴御行(おおとものみゆき)の大納言は、我が家にありとある人、集めて、のたまはく、『竜の首に五色の光ある珠あなり。それを取りて奉りたらむ人には、願はむことをかなへむ』とのたまふ。

男ども、仰せのことを承りて申さく、『仰せのことはいとも尊し。但し、この珠たはやすくえ取らじを、いはむや竜の首に珠は如何取らむ』と申しあへり。

大納言のたまふ、『君の使ひといはむものは、命を捨てても、おのが君の仰せ言をばかなへむとこそ思ふべけれ。この国に無き、天竺・唐土の物にもあらず。この国の海山より、竜は下り上るものなり。如何に思ひてか、なんぢら難きものと申すべき』

男ども申すやう、『さらば、如何(いかが)はせむ。難きものなりとも、仰せ言に従ひて求めにまからむ』と申すに、大納言、見笑ひて、『なんぢらが君の使ひと名を流しつ。君の仰せ言をば、如何は背くべき』とのたまひて、『竜の首の珠取りに』とて、出だし立て給ふ。この人々の道の糧(かて)食ひ物に、殿の内の絹、綿、銭などある限り取り出でて、添へて遣はす。

『この人々ども帰るまで、斎(いもひ)をして我や居らむ。この珠取り得では家に帰り来な』とのたまはせけり。

[現代語訳]

大伴御行は家中の家来を全員集めてから、『竜の首に五色の光を放つ珠があるそうだ。それを取ってくることができた者には、どんな願いでも叶えてやろう。』と言った。

家来たちは主人の命令を聞いて、『おっしゃることは尊重致します。しかし、この珠は簡単には手に入らないもので、まして竜の首にかかっているとされる珠などどうやって取ればいいのでしょうか。』と申し上げた。

大納言は、『家来というものは、自分の命を捨ててでも主人の命令を何とか実現しようとするものだと思っていた。この国にはない唐(中国)やインドにある物ではないのだぞ。この国の海・山から、竜は上ったり下りたりしているものだ。いったいどうして、お前たちはそれを取るのが難しいなどと言うのか。』と怒って言った。

家来たちは、『そこまでおっしゃるならば、仕方がございません。困難であろうとも、主君の命令に従って探して参ります。』と申し上げた。大納言はその様子を見て機嫌を良くして笑い、『お前たちは私の家臣として世に知られているのだ。私の命令にどうして逆らうことなどできるだろうか。』とおっしゃって、『竜の首の珠を取ってこい。』と命じて送り出した。この家来たちに、道中の食糧を与えて、更に家にあるだけの絹・銭・綿なども与えてから、竜の首の珠探しに派遣したのである。

『家来たちが帰ってくるまで、私は精進潔斎して祈願しながら過ごすことにする。竜の首にかかった珠を取ってくるまでは帰ってくるなよ。』と大納言は言った。

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