11.参議篁 わたのはら〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。 このウェブページでは、『参議篁のわたのはら〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

わたのはら 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟

参議篁(さんぎたかむら)

わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

大海原に浮かんでいる無数の島を目指して漕ぎ出していったのだと、都に残してきた大切な人に告げてください、漁師の乗る釣り舟よ。

[解説・注釈]

参議篁(さんぎたかむら)とは、『令義解(りょうげのかい)』を編纂した文人官僚の小野篁(おののたかむら,802〜852)のことである。小野篁は遣唐使の副使に抜擢されるが、藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)の謀略にあって、唐に出発する直前に藤原常嗣の壊れた船と自分の船を取り替えられてしまう。難破することが確実な船での出立を拒絶した小野篁は、『西道謡(さいどうのうた)』という政権批判の詩を詠んだことで、嵯峨天皇(さがてんのう)の逆鱗に触れて隠岐島に島流し(流刑)に遭ってしまったのである。

この和歌は、島流しに処された小野篁(参議篁)が、隠岐島に向かって出発する前に、出雲国(島根県)の千酌駅(ちくみえき)で詠んだものであり、日本海に浮かぶ漁師たちの船に向かって自らの悲しい心情を堂々と訴えかけたものである。歌全体に漂っている空気は、悲哀感や悔しさというよりも、小野篁が自分の無実を確信している清々しさのようなものであり、覚悟を決めて隠岐島に繰り出そうとする凛とした姿が浮かんでくる。実際、隠岐島に流された再来年には、嵯峨天皇の勅許を得て無罪放免となり、朝廷の官職にも復帰した知識人の小野篁はその才覚を認められて『従三位(じゅさんみ)』の官位まで昇進している。

『古今和歌集』の出典では、『隠岐国に流されける時に、船に乗りて出で立つとて、京なる人のもとに遣はしける』と書かれている。

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