『徒然草』の197段~201段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の197段~201段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第197段:諸寺の僧のみにもあらず、定額(じょうがく)の女孺(にょじゅ)といふ事、延喜式に見えたり。すべて、数定まりたる公人(くにん)の通号にこそ。

[現代語訳]

(決まった給与で雇われる)定額僧と呼ばれる者は諸寺の僧侶だけではない、『延喜式』にも『定額の女孺』という言葉があるのを見た。『定額』というのは、定員が定まったすべての役人の通称とすべきではないか。

[古文]

第198段:揚名介(ようめいのすけ)に限らず、揚名目(ようめいのさかん)といふものあり。政事要略(せいじようりゃく)にあり。

[現代語訳]

決まった任国を持たない名目だけの国司次官である『揚名介』だけではなく、名目だけの国司役人である『揚名目』というものもある。『政事要略』という平安時代の法制についての書物に載っている。

[古文]

第199段:横川行宣法印(よかわの・ぎょうせんぽういん)が申し侍りしは、「唐土は呂の国なり。律の音なし。和国は、単律の国にて、呂の音なし」と申しき。

[現代語訳]

比叡山延暦寺にある横川で修行していた行宣法印が申したのは、『中国は雅楽の呂旋法の国であり、律の音階がない。日本は、律旋法で雅楽が演奏される国で、呂の音階がない』ということである。

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[古文]

第200段:呉竹(くれたけ)は葉細く、河竹(かわたけ)は葉広し。御溝(みかわ)に近きは河竹、仁寿殿(じじゅうでん)の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。

[現代語訳]

(中国産とされる)呉竹は葉が細く、(日本産とされる)河竹は葉が広い。宮中の庭にある溝に近いのは河竹で、仁寿殿に近い場所に植えられているのは呉竹である。

[古文]

第201段:退凡(たいぼん)・下乗(げじょう)の卒塔婆(そとば)、外なるは下乗、内なるは退凡なり。

[現代語訳]

『退凡(たいぼん)」と『下乗(げじょう)』の卒塔婆。外にあるのが『下乗』、内にあるのが『退凡』である。

紀元前6世紀、インドの霊鷲山で釈迦牟尼世尊が説法をしたが、その説法を聞くためにマカダ国のビンバシャラ王が山頂への道を開き、その途中に荘厳な卒塔婆を一対建てたのだが、それが『退凡・下乗の卒塔婆』と呼ばれるものである。

『下乗の卒塔婆』というのは、ここから先は神聖な場所になるので、そこから乗物を降りよと指示する卒塔婆であった。『退凡の卒塔婆』とは凡人・凡夫の立ち入りを禁止するという意味の卒塔婆であり、上座部仏教(小乗仏教)の出家者だけが救済されるというエリート主義をイメージさせるものである。

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