兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。
『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の165段~168段が、このページによって解説されています。
参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)
[古文]
第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。
[現代語訳]
東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派とは異なる修行(勤行)をする。すべて、自分が属している生活圏の風習から外れた人(本来自分が居るべき場所にいない人)というのは、どこか見苦しいものだ。
[古文]
第166段:人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。
[現代語訳]
世俗の人々が忙しく動いている営み・仕事を見ていると、まるで春の日に雪仏を作って、そのために金銀・珠玉(宝石)の飾りつけをし、御堂を建立しようとしているかのようである。御堂が完成するのを待って、すぐに溶けてしまう雪仏を安置することなどできるのだろうか。人の生命は長いと思っていても、下から消えていく生命は雪のような儚いものである。それなのに、一生懸命に働き続けて、(間もなく人は死んでしまうというのに)その成果を長く待っているような人が多い。
[古文]
第167段:一道に携はる人、あらぬ道の筵に臨みて、『あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを』と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よに悪く覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、『あな羨まし。などか習はざりけん』と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に争ふは、角ある物の、角を傾け、牙ある物の、牙を咬み出だす類なり。
人としては、善に伐らず(ほこらず)、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎あり。慎みて、これを忘るべし。痴にも見え、人にも言ひ消たれ、禍をも招くは、ただ、この慢心なり。
一道にまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に、物に伐る事なし。
[現代語訳]
ある専門の道に従事する人が、違う専門の道の会合に出席して、『あぁ、これが自分の専門の集まりであれば、このように何も言わずに傍観するだけではなかったのに』と言った。こういったことを思うのはよくあることだが、もし専門外のことに間違った反論をしてしまえば、酷く下らない人間だと思われてしまう。自分の知らない専門の道について羨ましく思うなら、『あぁ、羨ましいことだ。どうしてこの道を選ばなかったのだろう』と言っておけばいいのだ。
自分の知識教養を出して人と争うのは、角ある獣が角を傾け、牙がある獣が牙で咬み合うのと同じ類のことなのである。
人は、自分の長所・美点を敢えて誇らず、何物とも争わないことを徳とするものだ。他者より優れていることがあるなら、それが欠点ともなる。気品の高さでも、教養・才知の優秀さでも、先祖の名誉でも、人より自分は優れていると思った人は、例え口に出さなくても、心の中に多くの罪・過ちが生まれてしまう。自分の長所・自慢など慎んで忘れたほうがいい。馬鹿のように見られ、人から自分の発言を訂正されて、災禍を招く原因はこの慢心からなのである。
本当に一つの道に精通した者は、自分で明らかに自分の欠点を知っているが故に、いつまでも自分の理想の志が満たされることがない。だから、他者に自分の自慢をすることもないのだ。
[古文]
第168段:年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、『この人の後には、誰にか問はん』など言はるるは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。『今は忘れにけり』と言ひてありなん。
大方は、知りたりとも、すずろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。『さだかにも辨へ(わきまえ)知らず』など言ひたるは、なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、『さもあらず』と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。
[現代語訳]
年老いた人が、優れた一事に関する才能があって、『この人が死んだ後には、誰にこの事について聞けば良いのだろうか?』などと言われるのであれば、老人にとっての味方とも言うべき人物であって、生き続けているのも無駄ではない。しかし、その専門について衰退している所が全くないというのは、この老人の一生はすべてこの事だけのために費やされてきたんだなと、つまらない人生のように見えてしまう。だから、『今はもう自分の専門については忘れてしまったよ』と言ってしまうのもありだろう。
大体のことは知っていても、やたらに言い散らすのは、それほどの才能が無いようにも見えるし、自然としゃべり散らす中で誤りも出てくるだろう。『その事についてははっきりとは確実に知らないが』などと言っていれば、本当に、その道の全てを大まかに知り尽くした先生のように思われるものだ。
まして、老人が知らない事をしたり顔で、大人しく物事を良く知らない若者に言い聞かせているのを見て、『そうではない(老人の言うことは間違っている)』とか思いながら聞いているのは、とてもやりきれないものだ。
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