『徒然草』の169段~172段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の169段~172段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第169段:『何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどより言ふ詞なり』と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住みしたる事を言ふに、『世の式も変りたる事はなきにも』と書きたり。

[現代語訳]

『何とか式という言い方は、後嵯峨天皇の時代までは使われなかった表現であり、最近になって使われ始めた言葉である』とある人が申していた。しかし、平清盛の娘(建礼門院・平徳子)に仕えた右京大夫という女房が、(平家滅亡後の)後鳥羽院の御世に宮中にお仕えしていた時、『世の式には何も変わりはないのに(平家は滅亡してしまった)』と書き残している。

[古文]

第170段:さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、疾く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。

人と向ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も閑かならず、万の事障りて時を移す、互ひのため益なし。厭はしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由をも言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、『今暫し。今日は心閑かに』など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍(げんせき)が青き眼、誰にもあるべきことなり。

そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、文も、『久しく聞えさせねば』などばかり言ひおこせたる、いとうれし。

[現代語訳]

大した用事もないのに、他人の家に行くのは良くないことである。用事があって行ったとしても、用事が済んだら早く帰ったほうが良い。長居されるというのは、とても厄介(迷惑)なことだ。

他人と向き合っていると、余計な言葉が多くなり、身体もくたびれて、心も静かに落ち着かない、様々な事柄に支障が起こってきてやるべきこともできずに時間ばかりが流れてしまう。お互いのために何の役にも立たない。迷惑そうにして相手と話しているのも悪い。相手と話すことに気乗りがしない時には、むしろその理由を言ってしまったほうが良い。自分も同じ気持ち(関心)を持って向き合いたいと思う相手が、手持ち無沙汰で暇にしていて、『もう暫く居て下さい。今日は心静かに語り合いましょう』などと言う時には、この限りではない。晋の時代の竹林の七賢の一人である阮籍のように、客人を歓迎する『青い眼』をすることは誰にでもあることだ。

特に用事もなくて、知人が訪ねてきて、のんびり話してから帰るというのは嬉しいことだ。また、手紙でも『久しくお手紙を差し上げていませんで』などと書いてあるだけで、とても嬉しいものである。

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[古文]

第171段:貝を覆ふ人の、我が前なるをば措きて、余所を見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤の隅に石を立てて弾くに、向ひなる石を目守りて弾くは、当らず、我が手許をよく見て、ここなる聖目を直に弾けば、立てたる石、必ず当る。

万の事、外に向きて求むべからず。ただ、ここもとを正しくすべし。清献公が言葉に、『好事を行じて、前程を問ふことなかれ』と言へり。世を保たん道も、かくや侍らん。内を慎まず、軽く、ほしきままにして、濫り(みだり)なれば、遠き国必ず叛く時、初めて謀を求む。『風に当り、湿に臥して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり』と医書に言へるが如し。目の前なる人の愁を止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。禹の行きて三苗を征せしも、師(いくさ)を班して(かえして)徳を敷くには及かざりき。

[現代語訳]

貝覆いという貝を用いたカルタ遊びをする人で、自分の目の前にある貝をさしおいて、よそを見渡し、人の袖の陰から膝の下まで目を配っている間に、目の前にある貝を人に取られてしまう。貝覆いの上手な人は、よその貝まで無理に取るようにも見えないのだが、手近な貝は必ず取るようにして、結果として最も多くの貝を取るのである。おはじき遊びをする時にも、碁盤の隅に石を置いて弾こうとして、目標の石ばかり見守っていてもまず当たらない。自分の手もとをよく見て、ここだという目安をつけて直線にして弾くなら、狙っている石に必ず当たるはずである。

全ての事は、外に向かって答えを求めてはならない。ただ自分自身を正せば良いのだ。11世紀の宋の名臣である清献公は、『今の自分に出来る善行を実践して、将来のことを問うてはならない』と言っている。世の中の秩序を保つ政治も、そのようなものではないだろうか。 内政を慎まずに軽んじて、みだりに為政者のほしいままにするなら、遠い国が陰謀を用いて反乱を起こす日が必ず来る。『(病気がちの人間が)冷たい風に吹かれて、湿気の多い布団に寝て、病気の治癒を神仏に訴えるのは愚かな人のやる事である』と医書で言われているようなものである。自分自身の養生や予防をせずに、病気を治すことなどはできないのだ。

為政者は、まず目の前にいる人々の悩みを止めて、恵沢を施し道を正しくすれば、その良い影響が遠くの地域にまで広がっていくという統治のやり方を知らないのだろうか。古代中国の聖王である禹(う)が異民族の三苗を征服した時のように、大規模な軍勢を引き返させて、(武力を用いない)徳政を敷くことには及ばないのである。

[古文]

第172段:若き時は、血気内に余り、心物に動きて、情欲多し。身を危めて、砕け易き事、珠を走らしむるに似たり。美麗を好みて宝を費し、これを捨てて苔の袂に窶れ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず、色に耽り、情にめで、行ひを潔くして、百年の身を誤り、命を失へる例願はしくして、身の全く、久しからん事をば思はず、好ける方に心ひきて、永き世語りともなる。身を誤つ事は、若き時のしわざなり。

老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎かにして、感じ動く所なし。心自ら静かなれば、無益のわざを為さず、身を助けて愁なく、人の煩ひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。

[現代語訳]

若い時は内面の血気が盛んであり、心が物に動かされて異性に対する情欲も多い。自分の身を危なくして無謀に砕けやすいことは、斜面で玉を転がすことにも似ている。美しいものを好んで金銭を費やし、あるいは金銭を捨てて苔の麓で身をやつし、勇ましい心を高ぶらせて他者と争い、恥ずかしがったり羨んだりして、好む相手・場所もなかなか定まらない。色欲に耽って、情愛に流されることで、行いを清廉潔白にすれば百年生きられるはずの身を損なってしまう。命を失うことすら願うような素振りで、自分が長生きする存在だとも思わずに、好きな方に心を惹きつけられて、長く語られる物語にもなる。身を誤ることは、若いからである。

老いた人は精神力が衰えて、欲望も淡く世俗にも疎くなっており、物事に敏感に感じて動くということもない。心は必然的に静かになり、無益なことをしない。自分の身を大切にして健康の悩みを減らすように努め、他人に迷惑を掛けないようにしようと思う。老いた人は生きる知恵において若い人に勝っているが、それは若い人が外見的な容姿・スタイルにおいて老人に勝っているのと同じである。

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