『枕草子』の現代語訳:102

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『御形の宣旨の、上に、五寸ばかりなる殿上童のいとをかしげなるを作りて~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

178段

御形の宣旨(みあれのせじ)の、上に、五寸ばかりなる殿上童(てんじょうわらわ)のいとをかしげなるを作りて、みづら結ひ、装束などうるはしくして、中に名書きてたてまつらせ給ひけるを、「ともあきらの大君」と書いたりけるを、いみじうこそ興ぜさせ給ひけれ。

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[現代語訳]

178段

御形の宣旨(みあれのせんじ)が、帝に、五寸ほどの殿上童のとても可愛らしい人形を作って、髪はみづらに結って、衣装なども綺麗なものを着せて、中に名前を書いて献上なされたが、「ともあきらの大君」と書いたのを、とても興に感じて面白がられた。

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[古文・原文]

179段

宮にはじめて参りたるころ、物の恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳(みきちょう)の後に侍ふに、絵など取り出でて見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじう、わりなし。「これは、とあり、かかり。それか、かれか」など、のたまはす。

高杯(たかつき)にまゐらせたる御殿油(おおとのあぶら)なれば、髮の筋なども、なかなか昼よりもけそうに見えて、まばゆけれど、念じて、見などす。いとつめたきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじう匂ひたる薄紅梅(うすこうばい)なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地(さとびとごこち)には、かかる人こそは世におはしましけれと、驚かるるまでぞ、まもりまゐらする。

暁には疾く(とく)下りなむと急がるる。「葛城(かつらぎ)の神も、しばし」など、仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ臥したれば、御格子(みこうし)もまゐらず。女官どもまゐりて、「これ放たせ給へ」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。

物など問はせ給ひ、のたまはするに、久しうなりぬれば、「下りまほしうなりにたらむ。さらば、早(はや)。夜さりは、とく」と、仰せらる。ゐざり隠るるや遅きと上げ散らしたるに、雪降りにけり。登花殿(とうかでん)の御前は立蔀(たてじとみ)近くて狭し。雪いとをかし。

昼つ方、「今日は、なほ参れ。雪に曇りて、あらはにもあるまじ」など、たびたび召せば、この局(つぼね)の主も、「見苦し。さのみやは籠りたらむとする。あへなきまで御前許されたるは、さ思しめすやうこそあらめ。思ふに違ふは、にくきものぞ」と、ただ急がしに出だし立つれば、あれにもあらぬ心地すれど、参るぞ、いと苦しき。火焼屋(ひたきや)の上に降り積みたるも、珍しうをかし。

御前近くは、例の、炭櫃(すびつ)の火こちたくおこして、それには、わざと人も居ず。上臈(じょうろう)、御まかなひにさぶらひ給ひけるままに、近う居たまへり。沈(じん)の御火桶(おんひおけ)の梨絵(なしえ)したるにおはします。次の間に、長炭櫃にひまなく居たる人々、唐衣(からぎぬ)脱ぎたれたるほどなど、馴れやすらかなるを見るも、いとうらやまし。御文取り次ぎ、立ち居、行き違ふさまなどの、つつましげならず、もの言ひ、ゑ笑ふ。

いつの世にか、さやうに交らひならむと思ふさへぞ、つつましき。奥寄りて、三、四人さし集ひて、絵など見るもあめり。

しばしありて、前駆(さき)高う追ふ声すれば、「殿参らせたまふなり」とて、散りたる物取りやりなどするに、いかで下りなむと思へど、さらにえふともみじろかねば、今すこし奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめり、御几帳(みきちょう)のほころびよりはつかに見入れたり。

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[現代語訳]

179段

中宮に初めて参上して仕えた頃、恥ずかしいことに物を何も知らず、情けなくて涙が落ちそうになるので、夜ごとに御前に参上して、三尺の御几帳の後ろに侍っていると、中宮様は絵などを取り出して見せて下さるのだが、その絵に手も差し出すことができないほど、萎縮していた。「この絵は、こういうものなのよ、ああいうものなのよ。その場面だったか、この場面だったか。」などと、絵のお話をして下さる。

高杯にお灯ししたあかりなので、髪の筋なども、かえって昼よりもはっきりと見えて、まぶしいけれども、我慢して、絵を見たりなどしていた。とても寒い頃なので、差し出した袖からお手がちょっと見えるのが、本当に匂いたつように綺麗な薄紅色であるのは、この上なく素晴らしいと、こういった高貴な人を見たことのない田舎者の気持ちには、このように美しい人がこの世にいらっしゃったのかと、驚くような気持ちで、見上げてしまうものでございました。

早朝の明け方には、早く局に下がろうと急がれている。「葛城の神というところですが、もう暫くいてもいいじゃない。」などとおっしゃられるのを、何とかして斜めからでも顔を御覧に入れないようにしようとして(ご無礼がないようにしようと思って)、やはりうつ伏せのままでいるので、御格子もお上げしないままである。女官たちがやって来て、「この格子をお上げください。」などと言うのを聞いて、女房が上げようとすると、「いけません。」と中宮様がおっしゃられるので、笑って帰っていく。

中宮様が色々とお尋ねになったり、お話をなさったりするうちに、長い時間が経ってしまったので、「局に下がりたくなったでしょう。ならば、早くお下がりなさい。夜になったら早く来るように。」と仰られる。私が御前を去って姿を隠すやいなや、遅いとばかりに女房たちが格子を急いで上げ散らかしたので、見ると雪が降っていた。この登花殿のお庭は、立蔀(たてじとみ)が近くに巡らしてあって狭い。雪がとても美しい。

昼の頃、「今日は、そのまま参上しなさい。雪が降って曇っているから、はっきりとは見えないでしょう。」などと、何度もお召し出しなされるので、私の局の古株の女房も、「参上しないのは見苦しい。そのようにひきこもってばかりいるのは良くない。あっけないほどに御前への参上が許されるのは、それだけ中宮様があなたをお気に入りになられたのでしょう。思いに逆らうのは、憎たらしい振る舞いですよ。」と、ただ急がせて局を出させて立たせるので、何が何だか分からない気持ちだけれど、参上するのがとてもつらい。火焼屋(ひたきや)の屋根に雪が降り積もった景色も、珍しくて面白い。

御前の近くには、いつもの炭櫃に火をたくさん起こして、それには、女房も敢えて近くに寄らない。上席の女房が、中宮様のお側でお世話して侍っておられるままに、その炭櫃の近くに座っていらっしゃる。沈(じん)の御火桶(おんひおけ)の梨絵(なしえ)が描いてあるものに当たっていらっしゃる。その次の間で、長炭櫃の側に隙間なく座っていらっしゃる人々が、唐衣を脱いでいて、馴れた様子で安らかに過ごしている様子などを見るのも、とても羨ましい。お手紙の取り次ぎをして、立ったり座ったり、すれ違う様子などが、遠慮しているようではなく、物を話したり笑ったりしている。

いつになったら、そのような場に交じってお勤めできるようになるのかと思うのさえ、気後れしてしまうことである。奥の方に寄って、3~4人が集まって、絵など見ている女房もいるようだ。

しばらく経ってから、先払いの者の高い声がするので、「殿様がいらっしゃったのでしょう。」と言って、散らかっているものを片付けなどするので、何とかして局に下がろうと思うけれど、急に身動きもできないので、もう少し奥の方に引っ込んで、それでも見たいと思う気持ちがあって、御几帳の隙間からわずかにその場を覗き込んだ。

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