『枕草子』の現代語訳:127

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『騒がしきもの  走り火。板屋の上にて、烏の、斎の生飯食ふ~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

241段

騒がしきもの

走り火。板屋の上にて、烏の、斎の生飯(ときのさば)食ふ。十八日に、清水に籠りあひたる。暗うなりて、まだ火もともさぬほどに、ほかより人が来あひたる。まいて、遠き所の人の国などより、家の主人(あるじ)の上りたる、いと騒がし。近きほどに火出で来ぬと言ふ。されど、燃えはつかざりけり。

242段

ないがしろなるもの

女官どもの髪上げ姿。唐絵の革の帯の後。聖(ひじり)のふるまひ。

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[現代語訳]

241段

騒がしいもの

はねる火。板葺きの上で、烏(からす)が斎の生飯(ときのさば)を食べている。十八日に、清水に籠り合わせた時。暗くなって、まだ火もともさない頃に、他から人が来あわせた時。まして、遠い地方などから、その家の主人が上京してきた時などは、とても騒々しい。近所で火事が起こったという時。しかし、燃え尽きるまではしなかった。

242段

投げやり・いい加減なもの

下級の女官たちの髪上げ姿。唐絵の革の帯の後。聖(ひじり)の振る舞い。

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[古文・原文]

243段

言葉なめげなるもの

宮のべの祭文(さいもん)読む人。舟漕ぐ者ども。雷鳴(かみなり)の陣の舎人(とねり)。相撲(すもう)。

244段

さかしきもの

今様(いまよう)の三歳児(みとせご)。ちごの祈りし、腹などとる女。物の具ども乞ひ出でて(こいいでて)、祈りの物作る、紙をあまたおし重ねて、いと鈍き刀して切るさまは、一重(ひとえ)だに断つべくもあらぬに、さる物の具となりにければ、おのが口をさへ引きゆがめて、押し切り、目多かる物どもして、かけ竹打ち割りなどして、いと神々しうしたてて、うちふるひ祈る事ども、いとさかし。

かつは「何の宮、その殿の若君、いみじうおはせしを、かい拭ひたるやうにやめ奉りたりしかば、禄(ろく)を多く賜はりし事。その人、かの人、召したりけれど、験(しるし)なかりければ、今に女をなむ召す。御徳をなむ見ること」など語りをる顔も、あやし。

下衆(げす)の家の女主人(おんなあるじ)。痴れたる(しれたる)者。それしもさかしうて、まことにさかしき人を教へなどすかし。

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[現代語訳]

243段

言葉の乱暴なもの

宮のめの祭文(さいもん)を読む人。舟を漕ぐ連中。雷鳴(かみなり)の陣にいる舎人(とねり)。相撲(すもう)を取る者。

244段

賢いもの(知恵のある抜け目がないもの)

最近の三歳児。赤ん坊の祈祷をして、腹などを揉んでいる女。色んな道具を頼んで出してもらって、祈祷に使うものを作るのだが、紙をたくさん重ねて、あまり切れ味の良くない刀で切る様子は、一枚さえも切れそうにないけれど、そういう道具を使うようになっているので、自分の口までも引きゆがめて、何とか押し切って、刃の目が多い道具を使って、欠けた竹を打ち割りなどして、幣(ぬさ)をとても神々しく仕立てて、体を打ち震わせて祈るのは、非常に小賢しい。

かと思うと、「どこどこの宮、そのお屋敷の若君が、とても悪い重態であられたのを、私が拭いさったかのように治療をして差し上げたので、そのお礼の禄(ろく)を多く賜わったことです。あの人この人をお呼び出しになりましたが、効き目がありませんでしたので、今なおこの私(女)をお召しなのです。その呼んでくださる方の人徳だけを見ております。」などと語っている顔も、賎しげなものである。

下々の家の女主人。頭の悪い阿呆(あほ)。その阿呆な者も小賢しくて、本当に賢い人に対して物を教えたりしているのだ。

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