清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『御乳母の大輔の命婦、日向へ下るに、賜はする扇どもの中に~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
226段
御乳母(おんめのと)の大輔の命婦(たいふのみょうぶ)、日向(ひゅうが)へ下るに、賜はする扇どもの中に、片つ方(かたつかた)は日いとうららかにさしたる田舎の館(たち)など多くして、今片つ方は京のさるべきところにて雨いみじう降りたるに、
あかねさす 日に向ひても 思ひ出でよ 都は晴れぬ ながめすらむと
御手にて書かせたまへる、いみじうあはれなり。さる君を見おきたてまつりてこそ、え行くまじけれ。
[現代語訳]
226段
御乳母(おんめのと)の大輔の命婦(たいふのみょうぶ)が、九州の日向へ下る時に、中宮が餞別として賜わった多くの扇の中に、片面に日がとてもうららかに差している田舎に官舎をいくつも描いたりして、もう片面には、京のしかるべきお屋敷で雨がひどく降っているところに、
あかねさす 日に向ひても 思ひ出でよ 都は晴れぬ ながめすらむと
(日が明るい日向に行かれても、私が都で泣いて晴れない気持ちでいることを思い出してください。)
御自筆でお書きになっていらっしゃって、とても感慨深いものである。このような主人を残しては(乳母である身としては)、とても日向に下って行くことができない。
[古文・原文]
227段
清水に籠りたりしに、わざと御使して、賜はせたりし、唐の紙の赤みたるに、草(そう)にて、
「山近き 入相(いりあい)の鐘の 声ごとに 恋ふる心の 数は知るらむ
ものを、こよなの長居や」とぞ書かせたまへる。紙などのなめげならぬもとり忘れたるたびにて、紫なる蓮の花びらに書きてまゐらす。
228段
駅(うまや)は、梨原(なしはら)。望月の駅(もちづきのうまや)。山の駅は、あはれなりしことを聞きおきたりしに、またもあはれなることのありしかば、なほとり集めてあはれなり。
[現代語訳]
227段
清水にお籠りしていた時、中宮からわざわざお使いを下されて、お手紙を頂いたが、唐(中国)の紙の赤ばんだものに、草(そう,万葉仮名の書体)で、
「山近き 入相(いりあい)の鐘の 声ごとに 恋ふる心の 数は知るらむ
(山に近い入相の鐘が一つ鳴る音ごとに、あなたを恋しく思っている私の心が痛む数も分かるだろう)
それなのに、ずいぶんと長居していることだ。」とお書きになられている。紙などの失礼にならないものも、家に忘れてきてしまっていたので、紫色の蓮の花びらに返歌を書いて差し上げた。
228段
駅(うまや)は、梨原(なしはら)。望月の駅(もちづきのうまや)。山の駅は、しみじみと哀れに思う話を聞いていた時に、またも哀れな出来事があったので、やはり色々な事柄を考えているうちに、しみじみと感慨に耽ってしまう。
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