『枕草子』の現代語訳:113

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『笛は横笛、いみじうをかし。遠うより聞ゆるが、やうやう近うなりゆくも、をかし。近かりつるが~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

207段

笛は横笛、いみじうをかし。遠うより聞ゆるが、やうやう近うなりゆくも、をかし。近かりつるが、遥かになりて、いとほのかに聞ゆるも、いとをかし。車にても、徒歩(かち)よりも、馬にても、すべて懐にさし入れて持たるも、なにとも見えず、さばかりをかしきものはなし。まして、聞き知りたる調子などは、いみじうめでたし。暁などに、忘れて、をかしげなる、枕のもとにありける、見つけたるも、なほをかし。人の取りにおこせたるを、おし包みてやるも、立文(たてぶみ)のやうに見えたり。

笙(しょう)の笛は、月の明き(あかき)に、車などにて聞き得たる、いとをかし。所狭く(せく)、持てあつかひにくくぞ見ゆる。さて、吹く顔やいかにぞ。それは、横笛も、吹きなしなめりかし。

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[現代語訳]

207段

笛は横笛が、とても風情がある。遠くから笛の音が聞こえるのが、段々と近くなってくるのも、面白い。近かったのが、遠くになっていって、本当に小さな音が聞こえるのも、とても面白いものだ。車であっても、徒歩であっても、馬の上でも、いつも懐に差し入れて持っていても、何にも変に見えず、これほどお洒落なものもないのである。まして、聞いて知っている歌などは、とても素晴らしい。明け方などに、男が置き忘れて、おしゃれな横笛が枕元にあったのを見つけたのも、とても面白い。人を遣わしてきて取りに来させたのを、紙に包んで渡すのも、立文のように見えたものである。

笙の笛は、月の明るい晩に、車などでふと聞いたのは、とても情趣がある。しかし、物が大きくて置き場所が狭く、持って扱いにくいように見える。さて、それを吹く顔はどんなものであろうか。それは、横笛であっても、吹き方によって顔の見え方は変わるだろう。

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[古文・原文]

207段(終わり)

篳篥(ひちりき)は、いとかしかましく、秋の虫を言はば、轡虫(くつわむし)などのここちして、うたてけ近く聞かまほしからず、まして、わろく吹きたるはいとにくきに、臨時の祭の日、まだ御前には出でで、ものの後に横笛をいみじう吹きたてたる、あなおもしろ、と聞くほどに、なからばかりより、うち添へて吹きのぼりたるこそ、ただいみじう、うるはし髪持たらむ人も、皆立ちあがりぬべきここちすれ。やうやう琴、笛にあはせて歩み出でたる、いみじうをかし。

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[現代語訳]

207段(終わり)

篳篥(ひちりき)の楽器は、とてもうるさくて、秋の虫でいえば、轡虫のような感じがして、嫌いなので近くで聞きたくもないものであり、まして、下手に吹いたのはとても憎たらしくなるが、臨時の祭の日、まだ帝の御前には出ないで、物影で横笛を一生懸命吹き立てたのを、あぁ、面白いなと聞いているうちに、途中から一緒に篳篥を吹いたのは、ただ素晴らしくて、綺麗な髪を持っている人でも髪がすべて立ち上がってしまうような感動の気持ちがした。そして、ようやく琴、笛に合わせて一緒に歩き出たのは、とても面白い。

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