清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『したり顔なるもの 正月朔日に、最初にはなひたる人~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
180段
したり顔なるもの
正月朔日(ついたち)に、最初にはなひたる人。よろしき人は、さしもなし。下臈(げろう)よ。
きしろふたびの蔵人(くろうど)に、子なしたる人のけしき。また、除目(じもく)に、その年の一の国得たる人。よろこびなど言ひて、「いとかしこうなり給へり」など言ふ答へ(いらえ)に、「何かは。いと異様(ことよう)にほろびて侍るなれば」など言ふも、いとしたり顔なり。
また、言ふ人多く、挑みたる中に、選りて婿になりたるも、我はと思ひぬべし。
受領(ずりょう)したる人の、宰相になりたるこそ、もとの君たちのなりあがりたるよりも、したり顔に、け高う、いみじうは思ひためれ。
[現代語訳]
180段
得意げな顔をしたもの。
正月一日に、最初にくしゃみをした人。高い身分の人は、そういうこともない。低い身分の者である。
競争者の多い時の蔵人に、自分の子を任官させた親の様子。また、除目(人事)で、その年の一番良い国の国司(守)に任命された人。人が喜びのお祝いを言って、「上手くおやりになりましたね。」などと言ってきた時の返事に、「いえいえ大したことはありません。とても並外れて疲れきっておりますから。」などと言うのも、とても得意げである。
また、求婚してくる男が多く、競い合った中で、選ばれて婿になったものも、私こそは特別だ(私こそ幸せものだ)と思うものだろう。
受領を務めていた人が、宰相(参議)になったのは、初めから出世が決まっている名門貴族の子弟の君たちが昇進した場合よりも、得意げであり、気位も高く、とても鼻持ちならない様子に思われる。
[古文・原文]
181段
位こそ、なほめでたきものはあれ。同じ人ながら、大夫(たいふ)の君、侍従(じじゅう)の君など聞ゆるをりは、いと侮りやすきものを、中納言、大納言、大臣などになり給ひては、無下にせく方もなく、やむごとなうおぼえ給ふ事のこよなさよ。ほどほどにつけては、受領なども、皆さこそはあめれ。あまた国に行き、大弐(だいに)や四位、三位などになりぬれば、上達部(かんだちめ)などもやむごとながり給ふめり。
女こそ、なほわろけれ、内裏(うち)わたりに、御乳母(おんめのと)は、内侍(ないし)のすけ、三位などになりぬれば、重々しけれど、さりとて、ほどより過ぎ、なにばかりのことかはある。また、多くやはある。受領の北の方にて国へ下るをこそは、よろしき人の幸(さいわい)の際と思ひて、めでうらやむめれ。ただ人の、上達部の北の方になり、上達部の御女(おんむすめ)、后に居たまふこそは、めでたきことなめれ。
されど、男はなほ、若き身のなり出づるぞ、いとめでたきかし。法師などの、なにがしなど言ひてありくは、何とかは見ゆる。経、尊く読み、みめ清げなるにつけても、女房にあなづられてなりかりこそすめれ。僧都、僧正になりぬれば、仏のあらはれ給へるやうに、おぢ惑ひ、かしこまるさまは、何にか似たる。
[現代語訳]
181段
位というのは、やはり素晴らしいものではある。同じ人であっても、大夫の君や侍従の君などと申し上げる時には、とても侮りやすい(軽く扱いやすい)ものであるが、中納言、大納言、大臣などにおなりになられると、無下に扱えるような人もいるはずがなく、身分が高い人だと思われることはこの上がないものだ。ほどほどの低い身分の者では、受領なども、みんなそのようなものである。いろいろな国に赴任して、大弐や四位、三位などになってしまうと、上達部なども身分の高い者として扱ってくださるようである。
女のほうは、身分という面では悪いものである。宮中では、御乳母は、内侍のすけや三位などになれば、重々しいものではあるが、そうはいっても、それ身分に過ぎた出世でもなく、どれだけのことがあるだろうか。また、その程度の出世でも多いものではない。受領の北の方(正妻)になって、任国へ下ることを、そう高くない身分の女性の最高の幸せだと思って、素晴らしいものだと羨むこともあるようだ。普通の身分の女が、上達部の北の方になり、その上達部の娘が后におなりになることは、さらに素晴らしいことだろう。
しかし、男はやはり、若い頃に出世するということが、とても素晴らしいことなのである。法師(僧侶)なども、何とかいう肩書きを言って歩き回ってみても、どれほどの人物だと見てもらえるだろうか。お経などをありがたそうに読み、外見が綺麗であっても、女房には侮られてしまい、他の大勢の人と一緒に見られてしまう。僧都、僧正の僧侶として最高の身分にまでなれば、まるで仏が現れでもしたかのように、尊敬されて畏れられるわけだが、その様子は他の何にも似ているものではない(肩書きでがらりと敬意の現し方を変えてしまう人々は何にも例えようがない)。
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