清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『好き好きしくて独り住みする人の、夜はいづくにかありつらむ、暁に帰りて~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
184段
好き好きしくて独り住みする人の、夜はいづくにかありつらむ、暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど、硯(すずり)取り寄せて、墨こまやかにおしすりて、事なしげに筆に任せてなどはあらず、心とどめて書くまひろげ姿も、をかしう見ゆ。白き衣どもの上に、山吹、紅などぞ着たる。白きひとへのいたうしぼみたるを、うちまもりつつ書き果てて、前なる人にも取らせず、わざと立ちて、小舎童子(こどねりわらわ)、つきづきしき随身(ずいじん)など、近う呼び寄せて、ささめき取らせて、去ぬる(いぬる)後も久しうながめて、経などのさるべきところどころ、忍びやかに口ずさびによみゐたるに、奥の方に、御粥(おかゆ)、手水(ちょうず)などしてそそのかせば、歩み入りても、文机(ふづくえ)におしかかりて、書(ふみ)などをぞ見る。
おもしろかりけるところは、高ううち誦じたる(ずじたる)も、いとをかし。手洗ひて、直衣(なおし)ばかりうち着て、六の巻そらによむ、まことに尊きほどに、近き所なるべし、ありつる使、うちけしきばめば、ふとよみさして、返事に心移すこそ、罪得らむと、をかしけれ。
[現代語訳]
184段
女好きの色好みで独身でいる人が、夜はどこの女の家にいたのだろうか、明け方に帰って、そのまま起きているので、眠たそうな様子だけれど、硯を取り寄せて、墨を丁寧に擦って、適当に筆に任せて書いたようではなく、集中して書いている打ち解けた姿も、趣深く見える。白い下着を重ねた上に、山吹、紅の色の衣を着ている。白い単衣(ひとえ)でとても萎んだものを、見守りながら書き終わって、前に侍っている女房たちにも渡さず、わざわざ立って行って、小舎童子、こうした使いに相応しい随身などを近くに呼び寄せて、ひそひそと何かを言って渡して、使いの者が立ち去った後も長く外をぼんやり眺めて、お経などの然るべきところどころを、静かに抑えた声で何となく読んでいると、奥の部屋から、おかゆや手水などの支度をして、女房が勧めてくるので、そちらに歩いて入っても、また文机に寄りかかって、書物などを見ている。
面白いと思った所は、声高に読み上げたのも、とても趣きがある。手を洗って、直衣だけを着て、法華経の六巻を空で読むのが、本当に尊く聞こえていたのだが、女性の家は近い所なのだろう、さっきの使いが帰ってきて、雰囲気で伝えてくるので、はたとお経を読むのをやめて、返事のほうに気持ちを移すのは、(こんな不信心の俗物では)仏罰を受けるであろうと面白い。
[古文・原文]
185段
いみじう暑き昼中に、いかなるわざをせむと、扇の風もぬるし、氷水(ひみず)に手をひたし、持て(もて)騒ぐほどに、こちたう赤き薄様(うすよう)を、唐撫子(からなでしこ)のいみじう咲きたるに結び付けて取り入れたるこそ、書きつらむほどの暑さ、心ざしのほど浅からずおしはかられて、かつ使ひつるだに飽かずおぼゆる扇も、うち置かれぬれ。
[現代語訳]
185段
とても暑い昼間に、どうしたら暑さを和らげられるだろうかと、扇の風も生ぬるいし、氷水に手を浸してみたり、氷を手に持って騒いでいるうちに、真っ赤な薄様の手紙を、唐撫子の立派に咲いた花に結びつけたものを、取次ぎの者が取り入れてきたのは、この手紙を書いた時の暑さ、こちらへの気持ちが浅くないということが推し量られて、氷をもてあそびながら飽きずに持っていた扇も、思わず下に置いてしまったのだった。
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