『枕草子』の現代語訳:105

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『かしこきものは、乳母の夫こそあれ。帝、親王たちなどは~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

182段

かしこきものは、乳母(めのと)の夫こそあれ。帝(みかど)、親王(みこ)たちなどは、さるものにておきたてまつりつ。その次々、受領の家などにも、所につけたるおぼえ、わづらはしきものにしたれば、したり顔に、わがここちもいと寄せありて、この養ひたる子をも、むげにわがものになして、女はされどあり、男子(をのこご)は、つと立ち添ひて後見(うしろみ)、いささかもかの御ことに違ふ者をば、爪立て、讒言(ぞうげん)し、あしけれど、これが世をば心に任せて言ふ人もなければ、所得、いみじき面もち(おももち)して、事行ひなどす。

むげに幼きほどぞ、すこし人わろき。親の前に臥すれば、独り局に臥したり。さりとて、ほかへ行けば、異心(ことごころ)ありとて騒がれぬべし。しひて呼びおろして臥したるに、「まづ、まづ」と呼ばるれば、冬の夜など、ひきさがしひきさがしのぼりぬるが、いとわびしきなり。それは、よき所も同じこと、今すこしわづらはしきことのみこそあれ。

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[現代語訳]

182段

畏れるべきたいした者といえば、乳母の夫こそがそうである。帝や親王たちなどは、これはその通りのものであるから敢えて言うまでもない。その次々に位置する身分の家、受領の家などでも、乳母はその場所を自分の場所だと思っているようで、家中(かちゅう)で扱いにくいものにされているのだが、得意げに、主君から信頼の気持ちを寄せられていると思って、妻の父で養った子供をも、むやみに自分だけの子供のようにしてしまい、女の子はそれでも良いとして、男の子は、ぴたりと付き添って面倒を見て、少しでも若君のご意志に逆らう者がいれば、咎めて、告げ口をして、扱いにくいものだけれど、これが世で思い通りにならないことのない乳母の夫だから、思っていることをそのまま言える人もいなくて、夫はその場で力を得て、偉そうな顔つきをして、物事の指図などをしている。

子供がまだ幼い頃は、少し体裁が悪いものだ。乳母は親の前で寝ることになるので、その夫は独りで局で寝ることになる。だからといって、他の局へ行けば、浮気心があるのではないかと騒がれてしまうことになる。乳母を無理に局に呼びおろして寝たのだが、「早く、早く」と親に呼ばれるので、冬の夜などは、がさがさと服をひきずりだして着こんで部屋へ上っていくのだが、独りになる夫はとても寂しいものである。それは、高貴な身分の屋敷でも同じことである、もう少し煩わしいことが多くなるほどである。

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[古文・原文]

183段

病は、胸。もののけ。脚のけ。さては、ただそこはかとなくて、もの食はれぬここち。

十八、九ばかりの人の、髪いとうるはしくて、たけばかりに、すそいとふさやかなる、いとよう肥えて、いみじう色白う、顔愛敬(あいぎょう)づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて額髪もしとどに泣き濡らし、乱れかかるも知らず、面もいと赤くて、おさへて居たるこそ、いとをかしけれ。

八月ばかりに、白きひとへなよらかなるに、袴よきほどにて、紫苑(しおん)の衣のいとあてやかなるをひきかけて、胸をいみじう病めば、友だちの女房など、数々来つつとぶらひ、外の方(とのかた)にも若やかなる君達(きんだち)あまた来て、「いといとほしきわざかな。例も、かうやなやみたまふ」など、事なしびに言ふもあり。心かけたる人は、まことにいとほしと思ひ嘆きたるこそ、をかしけれ。いとうるはしう長き髪を引き結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきも、らうたげなり。

上にもきこしめし、御読経(みどきょう)の僧の声よき賜はせたれば、几帳ひき寄せて据ゑたり。ほどもなき狭さなれば、とぶらひ人あまた来て、経聞きなどするも隠れなきに、目をくばりてよみゐたるこそ、罪や得らむとおぼゆれ。

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[現代語訳]

183段

病気は、胸。もののけ。脚のけ。その他は、ただどこかが悪いというのではなくて、物が食べられないような気持ちのふさぎこみ。

十八か十九歳くらいの人で、髪がとても美しくて、身の丈ほどの長さがあり、すそもふっさりしていて、とてもよく肉がついて肥えていて、色がとても白くて、顔も愛嬌があって、良いように見える女が、歯を激しく痛めて額髪も涙でびっしょりと泣き濡らして、顔に乱れかかるのも知らないという感じで、顔もとても赤くて、痛む所を押さえているのだが、そんな姿もとても魅力的なのである。

八月頃に、白い単衣(ひとえ)のやわらかな着物に、立派な袴を穿いて、紫苑がさねの衣でとても上品なものを羽織った女が、胸を激しく痛めて病んでいるので、友達の女房たちが、次々とやって来てお見舞いし、外の方にも若い貴公子が大勢やって来て、「本当に可哀想なひどい状況ですね。普段も、これほどに苦しまれているのですか。」などと、何ということもなしに言う人もいる。病人を思っている人が、本当に可哀想だと思って嘆いている姿は、恋の風情を感じるものでもある。とても綺麗な長い髪を引き結んで、物を吐こうとして起き上がった様子も、愛らしいものである。

帝も女房の病気についてお聞きになり、御読経をする僧の中で声の良い僧を選んでお遣わしになったので、几帳を枕元に引き寄せて、僧を(几帳の向こうに)座らせている。それほどでもない狭い部屋なので、お見舞いに来る人が大勢やって来て、お経を聞いている姿なども隠しようがないので、僧が周囲に配慮して目を配りながらお経を読んでいるというのも、仏の罰を受けるのではないかと心配に思われる。

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