『枕草子』の現代語訳:116

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『五月ばかりなどに、山里にありく、いとをかし~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

209段

五月ばかりなどに、山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて、草生ひ茂りたるを、長々と縦さま(たたさま)に行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むにはしりあがりたる、いとをかし。

左右にある垣(かき)にあるものの枝などの、車の屋形(やかた)などにさし入るを、急ぎてとらへて折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いとくちをしけれ。

蓬(よもぎ)の、車に押しひしがれたりけるが、輪のまはりたるに、近ううちかかへたるも、をかし。

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[現代語訳]

209段

五月の頃などに、山里を歩くのは、とても素晴らしいものだ。草葉も水もとても青く見えているが、表面はさりげなくて、草が生い茂っているところを、長々と縦にわたって行くと、下は黙ってはいないという感じの水が、深くはないけれど、お供の人などが踏み入っていくにつれて水が跳ね上がったのは、とても面白い。

左右にある生け垣の枝などが、車の屋形(やかた)などに入ってくるのを、急いで捕まえて折ろうとするけれど、車がすぐに過ぎて枝が外に出てしまうのは、とても残念である。

車に押されてひしゃげた蓬が、車の輪が回るにつれて、近くにうちかかってきた様子も、面白い。

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[古文・原文]

210段

いみじう暑きころ、夕涼みといふほど、もののさまなどもおぼめかしきに、男車(をとこぐるま)の、前駆(さき)追ふは言ふべきにもあらず、ただの人も、後(しり)の簾上げて、二人も一人も乗りて走らせ行くこそ、涼しげなれ。

まして、琵琶かい調べ、笛の音など聞えたるは、過ぎて去ぬるもくちをし。さやうなるに、牛のしりがいの香の、なほあやしう嗅ぎ知らぬものなれど、をかしきこそ、もの狂ほしけれ。いと暗う、闇なるに、前にともしたる松明(まつ)の煙の香の、車の内にかかへたるも、をかし。

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[現代語訳]

210段

とても暑い頃、夕涼みといった時間帯、暗くなってものの様子などもはっきりとは見えないが、男車の、先払いの声をかけるような身分の者は言うまでもなく、(そうではない)並みの身分の者でも、車の後ろの簾を上げて、二人でも一人でも乗って走らせて行くのは、涼しげである。

まして、琵琶を弾いたり、笛の音などが聞こえたのは、その前を過ぎて去ってしまうことすら残念である。そのような時に、牛のしりがいの香は、やはり怪しくて嗅ぎ慣れない匂いだけれども、良い匂いに感じられるのは、物狂おしいおかしなことである。とても暗くて、闇に沈んでいる晩に、車の前に灯した松明の煙の香りが、車の中に漂ってきたのも情趣がある。

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