『源氏物語』の現代語訳:若紫22

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“若君は、いとむくつけく、いかにすることならむと、ふるはれ給へど~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

若君は、いとむくつけく、いかにすることならむと、ふるはれ給へど、さすがに声立ててもえ泣き給はず。「 少納言がもとに寝む」とのたまふ声、 いと若し。

「 今は、さは大殿籠もるまじきぞよ」と教へきこえたまへば、いとわびしくて泣き臥したまへり。 乳母はうちも臥されず、ものもおぼえず起きゐたり。

明けゆくままに、見わたせば、御殿の造りざま、しつらひざま、さらにも言はず、庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて、かかやく心地するに、はしたなく思ひゐたれど、こなたには女などもさぶらはざりけり。け疎き客人などの参る折節の方なりければ、男どもぞ御簾(みす)の外にありける。

かく、人迎へ給へりと、聞く人、「誰れならむ。おぼろけにはあらじ」と、ささめく。御手水(みちょうず)、御粥など、こなたに参る。日高う寝起き給ひて、「人なくて、悪しかめるを、さるべき人びと、夕づけてこそは迎へさせ給はめ」とのたまひて、対に童女召しにつかはす。「小さき限り、ことさらに参れ」とありければ、いとをかしげにて、四人参りたり。

[現代語訳]

若君は、とても恐ろしくて、自分をどうなさるつもりなのだろうかと、ぶるぶると震えていらっしゃるが、やはり声を出してはお泣きになれない。「少納言の乳母の所で寝たい」とおっしゃる声が、とても幼くて若い。

「今からは、そのように乳母と一緒におやすみになるものではありませんよ」と教えて聞かせれば、とても悲しくて泣きながらおやすみになられた。少納言の乳母は、横にもなれず、何も考えられずに起きていた。

夜が明けていくにつれて、見渡すと、御殿の造り、調度品の様子は、改めて言うまでもなく、庭の白砂も宝石を重ね敷いたように見えて、光り輝くような気持ちがするので、(自分が小さく感じられて)きまりの悪い思いでいたが、こちらの対には女房なども控えていなかった。たまに来る客人などが参った折に使う部屋だったので、男たちが御簾の外に控えているのだった。

このように、女をお迎えになったと聞いた人は、「誰であろうか。並大抵の人ではないのだろう」と、ひそひそ噂話をしている。御手水、お粥などを、こちらに持ってくる。日が高くなってお起きになられて、「女房がいなくて、不便だろうから、しかるべき人々を、夕方になってからお迎えなさってくださいね」とおっしゃって、東の対に童女を呼びに人を遣わした。「小さい子たちだけ、特別に参れ」と言ったので、とても可愛らしい格好をした子供四人が参ったのである。

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[古文・原文]

君は御衣にまとはれて臥し給へるを、せめて起こして、「かう、心憂くなおはせそ。すずろなる人は、かうはありなむや。女は心柔らかなるなむよき」など、今より教へ聞こえ給ふ。

御容貌は、さし離れて見しよりも、清らにて、なつかしううち語らひつつ、をかしき絵、遊びものども取りに遣はして、見せたてまつり、御心につくことどもをしたまふ。

やうやう起きゐて見給ふに、鈍色のこまやかなるが、うち萎えたるどもを着て、何心なくうち笑みなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、我もうち笑まれて見たまふ。

東の対に渡り給へるに、立ち出でて、庭の木立、池の方など覗き給へば、霜枯れの前栽(せんざい)、絵に描けるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位、五位こきまぜに、隙なう出で入りつつ、「げに、をかしき所かな」と思す。御屏風どもなど、いとをかしき絵を見つつ、慰めておはするもはかなしや。

君は、二、三日、内裏へも参り給はで、この人をなつけ語らひ聞こえ給ふ。やがて本にと思すにや、手習、絵などさまざまに書きつつ、見せたてまつり給ふ。いみじうをかしげに書き集め給へり。「武蔵野と言へばかこたれぬ」と、紫の紙に書いたまへる墨つきの、いとことなるを取りて見ゐ給へり。すこし小さくて、

「ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露分けわぶる 草のゆかりを」とあり。

[現代語訳]

姫君がお召物にくるまって臥していらっしゃったのを、無理に起こして、「このように、お嫌がりにならないで下さい。いい加減な男は、このように優しくするでしょうか。女性というものは、心が素直で柔らかいほうが良いのです」など、今からお教え申し上げなさる。

ご容貌は、遠くから見ていた時よりも、美しいので、優しい感じでお話をされながら、趣きのある絵、遊び道具類などを取りにやって、お見せ申し上げ、姫君に気に入られることなどをされる。

だんだんと起き出して座って御覧になられるが、鈍色の色の濃い喪服の、ちょっと柔らかくなったものを着て、何も考えずに無邪気に微笑んでいらっしゃる姫君の姿が、とても可愛らしいので、自分もつい微笑んでからその姿を御覧になる。

源氏の君が東の対にお渡りになったので、端に出て行って、庭の木立、池の方などを、お覗きになると、霜枯れした前栽が、絵に描いたように美しくて、見たこともない四位や五位の人々の鮮やかな服装が色とりどりに混じり合っていて、休みなく出入りしている、「なるほど、素晴らしい所なんだわ」とお思いになる。御屏風類などの、とても素晴らしい絵を見ながら、落ち込んだ気持ちを慰めていらっしゃるのも、頼りなげで可愛らしい。

源氏の君は、二~三日、宮中へも参内されず、この姫君を手懐けようとして、お話相手をされている。そのまま手本にしようというお考えか、文字の手習、お絵描きなど、いろいろと書いて(描いて)は、姫君にお見せになられている。とても素晴らしいものを、お書きになって集められた。「武蔵野と言うと文句を言いたくなってしまう」と、紫の紙にお書きになった墨の具合が、とても格別で良いのを取って御覧になっている。少し小さくて、

「まだ一緒に寝てはいませんが愛しく思われます。武蔵野の露に難儀しておられる紫のゆかりである若い姫君を」とある。

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[古文・原文]

「いで、君も書い給へ」とあれば、「まだ、ようは書かず」とて、見上げ給へるが、何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、「よからねど、むげに書かぬこそ悪ろけれ。教へ聞こえむかし」とのたまへば、うちそばみて書い給ふ手つき、筆とり給へるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながらあやしと思す。「 書きそこなひつ」と恥ぢて隠し給ふを、せめて見給へば、

「かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ」と、 いと若けれど、生ひ先見えて、ふくよかに書い給へり。故尼君のにぞ似たりける。「今めかしき手本(てほん)習はば、いとよう書い給ひてむ」と見たまふ。雛など、わざと屋ども作り続けて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らはしなり。

かのとまりにし人びと、宮渡り給ひて、 尋ね聞こえ給ひけるに、聞こえやる方なくてぞ、わびあへりける。「しばし、人に知らせじ」と君ものたまひ、少納言も思ふことなれば、せちに口固めやりたり。ただ、「行方も知らず、少納言が率て(ゐて)隠し聞こえたる」とのみ聞こえさするに、宮も言ふかひなう思して、「故尼君も、かしこに渡り給はむことを、いとものしと思したりしことなれば、乳母の、いとさし過ぐしたる心ばせのあまり、おいらかに渡さむを、便なし、などは言はで、心にまかせ、率てはふらかしつるなめり」と、泣く泣く帰り給ひぬ。「もし、聞き出でたてまつらば、告げよ」とのたまふも、わづらはしく。僧都の御もとにも、尋ね聞こえ給へど、あとはかなくて、あたらしかりし御容貌など、恋しく悲しと思す。

北の方も、母君を憎しと思ひ聞こえ給ひける心も失せて、わが心にまかせつべう思しけるに違ひぬるは、口惜しう思しけり。やうやう人参り集りぬ。御遊びがたきの童女、児ども、いとめづらかに今めかしき御ありさまどもなれば、思ふことなくて遊びあへり。

君は、男君のおはせずなどして、さうざうしき夕暮などばかりぞ、尼君を恋ひきこえ給ひて、うち泣きなどしたまへど、宮をばことに思ひ出で聞こえ給はず。もとより見ならひ聞こえ給はでならひ給へれば、今はただこの後の親を、いみじう睦びまつはし聞こえ給ふ。ものよりおはすれば、まづ出でむかひて、あはれにうち語らひ、御懐に入りゐて、いささか疎く恥づかしとも思ひたらず。さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。

さかしら心あり、何くれとむつかしき筋になりぬれば、わが心地もすこし違ふふしも出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひの他のこと、おのづから出で来るを、いとをかしきもてあそびなり。女などはた、かばかりになれば、心やすくうちふるまひ、隔てなきさまに臥し起きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、思ほいためり。

[現代語訳]

「さあ、あなたもお書きなさい」と源氏の君が言うと、「まだ、上手く書けません」と姫君は言って、顔を見上げていらっしゃるのが、無邪気でかわいらしいので、源氏の君もつい微笑まれて、「上手でなくても、まったく書かないというのは良くありません。お教えしましょう」とおっしゃると、ちょっと体をすぼめてお書きになる手つき、筆をお持ちになる様子が幼い感じなのも、可愛らしいものだと思ったので、自分の心ながら不思議だと思われる。「書き間違ってしまいました」と、恥ずかしがってお隠しになるのを、無理に御覧になると、

「恨み言を言われる理由が分かりませんが、私はいったいどのような方のゆかりなのでしょうか」と、とても幼稚な文字ではあるが、将来の成長が見えるような、ふっくらとした文字をお書きになっている。亡くなった尼君の筆跡に似ているのだった。「今風の手本を習ったならば、もっと上手く文字をお書きになるだろう」と御覧になっている。雛人形なども、特別に御殿をいくつも造って並べ、一緒に人形で遊んで、この上ない気持ちを紛らわしてくれるお相手になっておられる。

あの大納言家に残った女房たちは、兵部卿の宮様(姫君の父上)がお越しになられて、姫君についてお尋ね申し上げられるのだが、何とお答え申し上げれば良いのか分からず、困り合っていた。「暫くの間、他人に知らせてはいけない」と源氏の君もおっしゃっていて、少納言の乳母もそう考えていることなので、強く口止めをさせていたのである。ただ、「行く方も知れず、少納言の乳母がお連れしてお隠し申し上げたことでして」とばかりお答え申し上げるので、宮様もどうしようもないとお思いになられて、「亡くなった尼君も、あちらに姫君がお移りになることを、とても嫌だとお思いになられていたので、乳母が、ひどく差し出がましい考えから、すんなりとお移りになるべきなのを、不都合だ、などとも言わないで、勝手に自分の一存でもって、姫君を連れ出してどこかへ連れていってしまったのだろう」と、泣く泣くお帰りになった。「もし、姫君の消息について聞くことがあれば、知らせなさい」とおっしゃるのも、煩わしいものである。僧都の御所にも、お尋ね申し上げなさるが、はっきりと分からず、惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しくお思いになる。

北の方も、その母親を憎いとお思い申し上げていた感情も消えて、姫君を自分の心の思いのままにできるとお思いになっていた当てが外れたのは、残念にお思いになっている。次第に女房たちが集まって来た。お遊び相手の童女や、幼い子供たちも、とても珍しく当世風なご様子なので、何も考えずに遊び合っていた。

若紫の姫君は、男君がいらっしゃらないなどして、寂しい夕暮の時などだけは、尼君のことを恋しくお思い出しになられて、つい泣きそうになったりなどされるが、父の宮様のことは、特にお思い出しにはならない。最初からご一緒ではない形で過ごして来られたので、今はただこの後の親を、とても馴れて親しくされていらっしゃる。用事を終えてお帰りになると、まずお出迎えして、しみじみとお話をなさって、お胸の中に入って、少しも嫌がったりせず、恥ずかしいとも思っていない。そうした時には、ひどく可愛らしい様子なのであった。

小賢しい智恵がついて、何かと面倒くさい関係になってしまうと、自分の気持ちとは少し合わない所も出て来たのだろうかと、心を置かれて、相手も恨みがちになり、意外なもめ事が 自然と出て来るものなのに、若い姫君は本当に可愛らしい(面倒な所のない)遊び相手である。女などというものは(自分の娘であっても)、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きすることなどは、とてもできないものだろうが、この姫君は、とても風変わりで大切な人だと、源氏の君はお思いのようである。

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