なぜ現代社会で大人のADHDが増えてきたのか?:時代背景・普通の基準の変化
DSM-5のADHD,アレクサンダー・クライトンの残したADHD類似の症状の記録
かつて子供特有の問題とされていたADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:注意欠如多動性障害)やLD(学習障害)などの発達障害が、今は大人の間にも多く見られるようになってきている。この変化は近年になって急に大人のADHDやその他の発達障害が増えたというよりも、『発達障害(ADHD)の知識の普及+発達障害の可能性を想定した精神科医の診断』と『発達障害の人が適応しづらい仕事状況・人間関係・学習課題・社会人(職業人)としてのニーズの増大』が直接間接に影響していると考えられる。
大人のADHD(発達障害)が増加の傾向を見せ始めたのは、日本のバブル経済崩壊で不況が広がった1990年代後半からであり、この時期は『企業の不景気+就職氷河期(非正規雇用拡大)+IT革命(Windows95発売以降のネット普及)』と重なっており、『企業・社会・他者が大人(正社員・社会人・恋愛)に求めるハードル』が急に高くなったのである。
『一億総中流社会』とも呼ばれた平等主義的な社会の空気や前提が変わってきて、誰もが普通に学校に行ったり会社で働いたりしていれば、それなりに結婚して子供を産んで家を買ってというような『中流階級的な暮らし』ができるという時代が終わった時期で、個人の学習能力・仕事の資質と成果・コミュニケーション力などがより厳しく問われやすくなった感じがある。
『普通』にしていれば自分の能力に見合った進学・就職ができてそれなりに暮らしていけるという『総中流社会』の前提が崩れて、『普通・最低限とされる基準』が上がった。普通の人の基準が上がったことで、知的障害のないADHDやLD、自閉症スペクトラムを持つ人たちの『普通の人とのズレ・最低限の資質とのズレ』が『不適応の原因(社会的・職業的な問題)』にされやすくなった面も大きいと思われるのである。
現代社会では学校教育や企業労働で求められる『コミュニケーション力と集団適応・TPOに合わせた適応力(空気・文脈を読む力)・判断力と行動制御力・複雑な知識労働』のレベルが高くなっている。広義のサービス業(対人接遇のある仕事)が増えて、かつての工場労働・建築現場に多かった『定型的・機械的な作業形態』が減ってきたことも大人のADHD(発達障害)の増加に影響しているだろう。
ADHDの不適応につながりやすい三大特徴として挙げられるのは『多動性(過活動)・不注意(注意散漫)・衝動性』であるが、大人のADHDが明らかになる時は『職場不適応・就労困難・仕事が適切にできないこと(指摘された同じミスなどをどうしても繰り返してしまうなど)』が発端となって、精神科・心療内科(発達臨床精神医学を前提とする診療科)を受診するようなケースが多い。ADHDやアスペルガー障害(広汎性発達障害)をはじめとする『大人の発達障害』で具体的に困る問題となる代表的なものが、『就労の困難・職場不適応・人間関係のトラブル』なのである。
発達障害の人に対して、社会全体での理解や周囲にいる人からの援助が求められる大きな理由は、大人の発達障害で軽度のものであれば『知的障害はない+学習能力がある・大半の仕事は普通にこなせる(表面的には発達障害があるとは分かりにくい)』という特徴があるので、周囲のちょっとした配慮・協力・支援があれば『一定水準での職業適応・仕事の継続・人間関係構築』が可能だからである。
大人のADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:注意欠如多動性障害)の症状の特徴も、子供のADHDと同じく『不注意(注意散漫)・多動性(過活動)・衝動性』だが、大人のADHDのケースでは『就労困難・早期離職+職業活動・社会生活の不適応』として現れやすいのである。米国精神医学会(APA)が作成した精神疾患・発達障害診断のグローバルスタンダードになっているDSM-5では、大人(成人)のADHDの症状を以下のように整理している。
不注意(注意散漫)の症状
精神的な忍耐・集中が必要な課題を避けたり達成することができない。レポート(報告書)の作成、長文の執筆・見直し、項目の多い書類の漏れのない記入などが苦手である。
外的な刺激・物音や内的な思考・感覚によって容易に注意力が削がれて集中することができない。
日常生活・仕事で必要なことや約束したことを忘れやすい。メールの返信や折り返しの電話、伝票の処理、会議・商談の約束、必要な物の携帯などを忘れてしまう。
多動性・衝動性の症状
オフィス・会議場・レストランなどに長時間留まることができない。
職場のオフィスや現場ですぐに自分の持ち場(デスク)を離れてうろうろしてしまう。
他人がしている作業に横入りで干渉したり、他人の役割・職務について反射的に口出しや批判をしてしまう。
自分がやりたいと思ったことや頭に浮かび上がってきたことを、すぐに衝動的に実行しようとしたり我慢(自己抑制)することができない。
ADHDという発達障害の概念が作られるはるか以前から、『不注意・多動性・衝動性』の症状を示す類似の発達上の特徴・問題はあったはずだが、ADHDに関連すると思われる医学上の最初の記録は18世紀末頃ではないかと考えられている。1798年に、スコットランドの内科医アレクサンダー・クライトン(Alexander Crichton, 1763-1856)は、著書『精神疾患の性質と原因に関する研究(Aninquiry into the nature and origin of mental derangement)』で、現在の不注意優勢型のADHDに相当するような症例の特徴・原因について記述している。
アレクサンダー・クライトンは、不注意優勢型のADHDに似た精神疾患(現在では発達障害)について、主に子供の精神疾患であるとして、その原因は『先天的・遺伝的な要因』か『神経障害など他の疾患に付随する精神疾患』だと考えていたようである。日常生活・職業の様々な領域で障害を引き起こすが、主に子供に見られる精神疾患なので、年齢が上がるにつれて自然に改善していくことが多いという現代のADHDの知見に近い考えも記していた。
スコットランドの内科医であるアレクサンダー・クライトンは、オランダのライデン大学医学部で学んだ名医として知られており、当時のロシア・ロマノフ王朝の皇帝アレクサンドル一世の侍医を務めた経歴も持っている。
ドイツの精神科医ハインリッヒ・ホフマン(Heinrich Hoffmann, 1809-1894)は、自分の息子がADHDのような性格行動パターンを持っていたことから、息子の実際の行動をモチーフとした童話『そわそわフィリップ(Fidgety Phillip,1846年)』『じたばたフィリップのおはなし(邦題)』を書いている。この童話に記された少年の性格行動パターンの特徴は、現在の小児期に見られるADHDの特徴との共通点が多いのだが、『身体を動かして落ち着くことのできない子供・父親の言いつけを集中して聴くことのできない子供の様子』が分かりやすい表現で伝わってくる内容になっている。
精神科医のハインリッヒ・ホフマンは、ドイツのフランクフルト出身でハイデルベルグ大学で医学や諸学問を学んでおり、はじめは精神科医ではなく内科医として開業していたのだという。その後、フランクフルト精神病院に勤務したことが縁で精神科医に転向することになる。閉鎖病棟にただ患者を押し込めて社会から隔離するのではない『精神疾患の開放治療』の実践・研究に取り組み、自分自身の精神病院を設立・開業するまでになった。
ハインリッヒ・ホフマンは、小児期・児童期に見られやすい発達障害的な行動特性や精神症状を捉えた絵本を複数書いているのだが、『ぼんやりハンス』に書かれた少年は不注意優勢型のADHDに当てはまる特徴が多く、『わるぼうずフリードリッヒ』に記された少年は衝動的・暴力的な行為障害・反抗挑戦性障害に当てはまる行動が多くなっている。
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