ADHDの診断名以前のジョージ・F・スティルのスティル病とMBD(微細脳機能障害)
アメリカ精神医学会(APA)のDSMとWHOのICDにおけるADHDの診断基準の歴史的変遷
ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorders)は小児期から児童期に発症しやすい発達障害であるが、20世紀初頭にイギリスの小児科医ジョージ・F・スティル(George F Still)が既に現在のADHDや反抗挑戦性障害に近い子供の症例を紹介していた。ジョージ・F・スティルが紹介した小児期の子供に多い行動上の問題の特徴は『攻撃的・反抗的であること,感情的に興奮しやすいこと』と『落ち着きがなく動き回ること,注意力・集中力の維持が困難なこと』であった。
スティルがこの行動上の問題が起こる小児期の疾患の原因として想定したのは『道徳的な抑制の欠如』と『脳の器質的な損傷』であり、初めこの疾患を『脳損傷症候群』と命名していた。脳損傷症候群はその後に『スティル病』と呼ばれるようになったが、このスティル病は脳性麻痺や現在の広義の発達障害に当てはまる特徴を多く持っているものだったと報告されている。
スティル病の特徴には大きく以下のようなものがあるとされた。
大人や権威(ルール)に対して反抗的である。
落ち着きがなくそわそわしていたり動き回っている。
注意力・集中力を維持することができない。
親から虐待を受けていたり好ましくない家庭環境で養育されることがある。
衝動的な攻撃性・暴力性や非行行為が見られることがある。
非随意的な運動発作が手足・顔面・言葉などででてくる『チック(ジルドレ・トゥレット症候群)』が見られやすい。
小さな奇形があることが多い。
乳幼児期に脳炎・脳腫瘍の罹患歴があることが多い。
アメリカで1917年~1918年にエコノモ脳炎が流行して、その脳炎の後遺症として現れる行動上の障害・自己制御の困難が『スティル病(現在のADHDを含む広義の発達障害)』と似ていたため、スティル病の原因となる器質的基盤に脳炎後の後遺症のような『脳機能障害・脳の器質的障害』があるのではないかと考えられるようになっていった。当時のアメリカでは脳損傷が原因となって、衝動的・暴力的な行動の抑制障害やADHDのような不注意・多動性(過活動)が生み出されているという考え方が主流となったのである。
小児の精神疾患を専門に見る病院であったエマ・ペンドルトン・ブラッドリー病院(ロードアイランド州)は、1931年に資産家ジョージ・ブラッドリーによって開院された病院だが、開院のきっかけとなったのはブラッドリーの娘が脳炎に罹患してその後遺症に苦しんでいたこと(何とか娘に効果的な治療をして上げたいこと)だった。
エマ・ペンドルトン・ブラッドリー病院では小児の行動障害・発達障害に対するベンゼドリンを用いた薬物療法が行われており、一定の症状抑制の効果が見られたため、ますます小児の行動障害・発達障害(現在のADHDも含む)の原因は『脳機能障害(脳損傷を背景に持つもの)』であると考えられるようになった。しかし実際には中枢神経系の損傷箇所や器質的な異常所見を特定することはできなかった。
1940年代になるとアメリカでは現在のADHD(注意欠如多動性障害)に相当する症例に対して、『MBD(Minimal Brain Dysfunction:微細脳機能障害)』という新たな専門用語を用いて診断することが主流になった。MBD(微細脳機能障害)は今のADHDと類似した行動障害・自己制御障害・学習障害などが見られれば、明らかな脳損傷の所見がない症例でも、『目に見えないほど微細な脳損傷(分からないほどの中枢神経系の成熟障害)』が背景にあるものと仮定して診断されたのである。
MBD(Minimal Brain Dysfunction:微細脳機能障害)の典型的な症状は、『不注意(注意散漫)・多動性・衝動性・攻撃性・感覚協調運動の障害・学習障害』などであり、神経学的な異常の兆候や脳波異常を伴うことが多いとされたが、その後の画像診断などの研究でも『客観的な脳損傷の所見の証拠』がどうしても見つからなかったために、次第にMBDという診断名は小児精神医学で使われることがなくなったのである。
アメリカ精神医学会(APA)が作成した統計的根拠を持つ精神疾患の操作的な診断基準である『DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)』が用いられるようになると、MBD(微細脳機能障害)はADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)やLD(Learning Disability)として再認識されていくことになった。
それまでのMBDに当たる小児期の行動障害を初めて収載したのは、1968年発行の『DSM-Ⅱ』からで小児期・思春期の行動障害のカテゴリーにおいて『小児期・思春期の多動性反応(hyperkinetic reaction of childhood)』という診断名で分類されていた。MBDという診断名が多く使われていた1940~1950年代のアメリカでは、『微細脳損傷・多動性症候群』という診断名も併せて用いられていたという。
1980年発行のDSM-Ⅲでは小児期・思春期の多動性反応(hyperkinetic reaction of childhood)は『ADD(Attention Deficit Disorder:注意欠陥障害)』として再定義されることになったが、この『ADD(注意欠陥障害)』は多動性の症状を伴わないADHDとして現在でも用いられることもある。DSM-ⅢではADDを更に『多動性を伴う注意欠陥障害』『多動性を伴わない注意欠陥障害』『成人の残遺型の注意欠陥障害(子供時代からあったADDの遷延)』のサブグループ(下位グループ)に分類して、小児期・思春期の未成年者だけでなく成人でも子供時代からのADDの症状を持ち続ける可能性があると考えるようになった。
ADHDから多動性(過活動)の症状を除いたADDがあるように、ADHDのメインの症状は『注意障害(不注意・注意散漫)+衝動の制御障害』と考えられるようになり、『多動性(過活動)』は副次的(二次的)な症状として認識されるようになった。1987年発行のDSM-Ⅲ-R(DSM-Ⅲの改訂版)で、初めて『ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:注意欠陥多動性障害)』という診断名が採用されることになり、症状リストにある中心的な症状は『不注意・衝動性・多動性』の3つとされた。
1994年発行のDSM-ⅣではADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)の邦訳名が『注意欠陥多動性障害』から『注意欠陥/多動性障害』となって、注意欠陥(不注意)と多動性の症状を大きく区別すべきことが強調される形になった。ADHDのサブグループ(下位グループ)として『不注意優勢型』『多動性-衝動性優勢型』『混合型』の3つが設定された。
『不注意』あるいは『多動・衝動性』の診断項目はそれぞれ9項目あるのだが、その両者とも6項目以上満たしている場合を『混合型』、不注意のみを満たしている場合を『不注意優勢型』、多動・衝動性のみを満たしている場合を『多動性・衝動性優勢型』と診断することになる。
2013年公開のDSM-5では『子供に特有の発達障害・非適応的な行動様式』という既成概念を大きく変更して、『大人(成人期)のADHD・ADD』という概念を明確にしたところに特徴がある。DSM-5もDSM-Ⅳ-TRと同じくADHDを『不注意優勢型』『多動・衝動性優勢型』『混合型』に分類していて、その特徴として『仕事の先延ばし傾向(業績不振)・対人スキルの低さ・社会性の未熟・新奇性追求傾向と独創性・自己評価の低さ』などを付け加えている。
WHO(世界保健機関)が作成する診断基準の『ICD(国際疾病分類)』では、ICD-8までADHDに該当する項目は設置されていなかったが、1965年発行のICD-9になって『小児期の多動性症候群(Hyperkinetic syndrome of Childhood)』という項目が設けられることになった。小児期の多動性症候群(Hyperkinetic syndrome of Childhood)の下位項目として『活動性と注意の単純な障害』『発達遅滞(知的障害)を伴う多動』『多動性行為障害』『特定不能なもの』も記載された。
1992年発行のICD-10での名称は『多動性障害(Hyperkinetic Disorders)』となり、多動の症状がメインにされて不注意(注意散漫)のみの症例は多動性障害に含まれないことになった。ICD-10の多動性障害の下位項目として、『活動性および注意の障害』『多動性行為障害』『他の多動性障害』『特定不能なもの』の4つが分類されている。
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