『史記 蘇秦列伝 第九』の現代語訳:6

中国の前漢時代の歴史家である司馬遷(しばせん,紀元前145年・135年~紀元前87年・86年)が書き残した『史記』から、代表的な人物・国・故事成語のエピソードを選んで書き下し文と現代語訳、解説を書いていきます。『史記』は中国の正史である『二十四史』の一つとされ、計52万6千5百字という膨大な文字数によって書かれている。

『史記』は伝説上の五帝の一人である黄帝から、司馬遷が仕えて宮刑に処された前漢の武帝までの時代を取り扱った紀伝体の歴史書である。史記の構成は『本紀』12巻、『表』10巻、『書』8巻、『世家』30巻、『列伝』70巻となっており、出来事の年代順ではなく皇帝・王・家臣などの各人物やその逸話ごとにまとめた『紀伝体』の体裁を取っている。このページでは、『史記 蘇秦列伝 第九』の6について現代語訳を紹介する。

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参考文献
司馬遷『史記 全8巻』(ちくま学芸文庫),大木康 『現代語訳 史記』(ちくま新書),小川環樹『史記列伝シリーズ』(岩波文庫)

[『史記 蘇秦列伝 第九』のエピソードの現代語訳:6]

楚王は言った。「寡人(わたし)の国は、西で秦と境界を接している。秦は巴・蜀(は・しょく)を取って漢中を併呑する野心を持っている。秦は虎狼のような国であり、親しむことはできない。しかし、韓・魏は秦の災いに迫られているので、共に深謀遠慮を巡らすことができない。共に深謀を巡らしても、恐らく我が国を裏切って秦に付くだろう。だから、謀略がまだ実行されないうちに、我が国が危機に晒されてしまう。寡人(わたし)が一人で考えてみたが、楚一国で秦に当たっても勝目がない。群臣に謀ってみても、恃むに足りない。寡人は寝ても寝床で安心していることができず、食べても美味を感じず、心が縣旌(かけはた)のように動揺して落ち着くことができなかった。しかし、今、先生は天下を一つにして諸侯を結集させ、危機に瀕している国の存続を維持しようとされておられる。寡人(わたし)は謹んで社稷を上げて従いましょう。」

こうして、六国は合従する約束を結び力を合わせることになった。蘇秦は合従の盟約の長となり、六国の宰相を併任した。

北に行って趙王に報告することになったが、行く途中でラク陽を通過した。その車馬や荷物には、諸侯がそれぞれ使者を使わして送ってきたものが多く、その隊列は王者たるものに相応しいものだった。周の顕王はこれを聞いて恐れをなして、道を掃除し、使者に郊外まで迎えに行かせて労った。蘇秦の兄弟・妻・嫂(あによめ)らは、目を側だてるだけで仰ぎ見ることもできず、俯いたままで蘇秦の食事の用意をした。蘇秦は笑ってその嫂に言った。

「どうして以前は威張っていたのに、今は恭しいのですか。」

嫂は這いつくばって顔を地に押し付けて謝りながら言った。

「季子(蘇秦の字)が高い位にあり、財産を多く持っていることを拝見したからです。」

蘇秦は飽きれて嘆息して言った。

「同一の人物であるのに、富貴になれば親戚も畏れてかしこまり、貧賎になれば軽視してバカにする。まして、世間一般の人々ならなおさらそうである。私がもし洛陽の城郭付近の肥沃な田地を二百歩も持っていたら(きっとその裕福さに胡座をかいて何もしなかっただろう)、六国の宰相の印綬をどうして帯びることなどできたであろうか。」

そこで、千金を散じて、一族や友人たちに与えた。過去には、蘇秦が燕に向かう時に、百銭を借りて旅の資金にしたが、富貴の身分を得たことで、その借金を百金にして返して償ったのである。また今まで恩恵を与えてくれた人たち全員に恩賞を与えた。従者の一人が、一人だけ恩賞を貰えなかったので、自分から進み出て恩賞を頂きたいと言った。蘇秦は言った。「私はお前のことを忘れたわけではない。お前と一緒に燕に着いた時、お前は何度も私を易水(えきすい)のほとりで見捨てようとした。あの時、私は困っていたので、お前を深く恨んでいたのだ。だから恩賞を後回しにしたのだが、今はもうお前にも恩賞を上げよう。」

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蘇秦が六国の合従親交の盟約を成立させて、趙に帰ると、趙の粛侯は蘇秦を武安君に封じた。そして、その合従の盟約書を秦に送ったのである。(そのお陰で)秦の軍隊は15年もの間、敢えて函谷関を出ようとはしなかった。

その後、秦は犀首(さいしゅ)に命じて斉・魏を欺き、秦と共に趙を伐たせて、合従の盟約を破ろうとした。斉・魏が趙を伐つことになった。趙王は蘇秦を責めた。蘇秦は恐れて、自分が燕に使者として赴き、必ず斉に報復したいと言った。しかし、蘇秦が趙を立ち去ると、合従の盟約はすべて解消されてしまったのである。

秦の恵王は、娘を燕の太子の夫人にした。この年、燕の文侯が亡くなり、太子が即位した。これが、燕の易王(いおう)である。易王が即位したばかりの頃、斉の宣王が燕の喪につけこんで燕を攻撃し、十城を奪い取った。易王が蘇秦に言った。

「過去に、先生は燕にやって来られた。その時、先王は先生に旅費を与えて趙王に謁見させ、遂に六国合従の盟約を成立させられた。しかし今、斉はまず趙を攻撃し、次に燕も攻めてきた。先生のお陰で燕は、天下の笑い物になったようなものだが、先生は燕のために斉に侵略された土地を取り戻すことができますか。」蘇秦は大いに恥じて言った。「王のために取り戻して参ります。」

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蘇秦は斉王に謁見して再拝し、うつぶせになって慶賀を述べ、仰いでお悔やみを述べた。斉王は言った。「どうして慶びを述べたかと思うと、お悔やみの言葉も述べたのか。」蘇秦は言った。

「臣(私)は、飢えている人が、いくら飢えても烏喙(うかい)の毒薬を食べないのは、それを食べて腹を満たせば満たすほど毒で死んでしまい、餓死するのと同じになるからだと聞いています。今、燕は弱小ですが、秦の公女を貰っている女婿(じょせい)の国です。大王は燕の十城を手に入れましたが、これによって長く秦の仇敵になってしまったのです。つまり、弱燕を侵略して斉を優位にしたわけですが、強秦が燕の後ろ盾になって、斉に天下の精兵の攻撃を招くことになっては、これは烏喙の毒を喰らう類のことになってしまいます。」

斉王は心配になって顔色を変えて言った。「それでは、どうしたらいいのだろうか。」蘇秦は言った。「臣(私)は、昔の物事を良く処理した人たちは、禍いを転じて福と為し、失敗に学んで成功したと聞いております。大王が本当に臣の計略をお聴き入れ下さるならば、すぐに燕の十城を返還して下さい。燕は理由もなく十城が返ってくれば必ず喜びます。秦王は自分のお陰で燕に十城が返ってきたと知れば、これもまた必ず喜ぶでしょう。これがいわゆる、仇敵関係を捨て去って堅い交わりを得るということなのです。そもそも、燕・秦が斉に仕えるようになれば、大王の号令に天下の人々が従うようになるでしょう。これは大王が空虚な言葉で秦を従わせ、十城と交換で天下をお取りになられるわけで、これが覇王の業というべきことなのです。」 斉王は「良いだろう。」と言って、燕に十城を返還した。

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