『徒然草』の211段~214段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の211段~214段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第211段:万の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先づ滅ぶ。財多しとて、頼むべからず。時の間に失ひ易し。才ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず。徳ありとて、頼むべからず。顔回も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず。誅を受くる事速かなり。奴(やっこ)従へりとて、頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信ある事少し。

身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。左右広ければ、障らず、前後遠ければ、塞がらず。狭き時は拉げ(ひしげ)砕く。心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、物に逆ひ、争ひて破る。緩くして柔らかなる時は、一毛も損せず。

人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の性、何ぞ異ならん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、物のために煩はず。

[現代語訳]

あらゆる事は頼りにすべきではない。愚かな人は、他人やモノを強く頼りにし過ぎるので、恨んだり怒ったりすることになってしまう。

勢いがあっても頼りにするな。強い者からまず滅ぶ。財産が多くても頼りにするな。一瞬で金などなくなる。才能があっても頼りにするな。あの孔子さえ時機(好機)には恵まれなかった。徳があっても頼りにするな。顔回さえ不幸な末路に陥った。主人の寵愛も頼りにするな。失敗すれば速やかに罰を受けることになる。従ってくれる家来がいても頼りにするな。裏切って敵に寝返ってしまうことがある。人の心(意志)を頼りにするな。人の不安定な心は必ず変わるものだ。他人との約束を頼りにするな。信義を貫いて約束を守る事など少ない。

自分も他人も頼りにしないなら、良い時には素直に喜べるし、悪くても誰も恨まないで済む。左右が広ければ人の障害にもならず、前後が遠ければ前が塞がれてしまうということもない。狭い場所に人が集まると、互いに押し合い潰し合うことになる。人間関係の中で頭が働かず気持ちに余裕のない厳しい状況では、他人に逆らって争い合うことになり、最後には自分が傷ついてしまう。心が緩やかにリラックスしていて柔軟な思考ができる時には、髪の毛一本さえも傷つけられるということが無いだろう。

人は天地の霊である。天地は無限である。であれば、人の本性も天地と異ならず無限であるだろう。寛大な気持ちで追い詰められていない状況であれば、喜怒の感情に振り回されないし、他人やモノに煩わされることもないのだ。

[古文]

第212段:秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべき事なり。

[現代語訳]

秋の月は、限りなく美しいものである。いつでも月というものは秋月のようであって欲しいと思い、別の季節の月との区別がつかないような人は、ひどく情けなくて残念だと思う。

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[古文]

第213段:御前の火炉(かろ)に火を置く時は、火箸して挟む事なし。土器より直ちに移すべし。されば、転び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。

八幡(やはた)の御幸(ごこう)に、供奉(ぐぶ)の人、浄衣(じょうえ)を着て、手にて炭をさされければ、或有職(ゆうしょく)の人、「白き物を着たる日は。火箸を用ゐる、苦しからず」と申されけり。

[現代語訳]

天皇の火鉢に火を移す時には、火箸を使うということはない。火種にしても、土器からすみやかに移動させることになる。であれば、火種が転び落ちたりしないように初めから炭を高く積んでおくべきだろう。

天皇が石清水八幡宮に出かけられた時に、御供した貴族が、白い浄衣を着て、手で炭を置かれていた。それを見た宮廷の儀礼に詳しいある有職の人が言われた。『白い着物を着ている日であれば、火箸を用いても問題はないのだ』と。

[古文]

第214段:想夫恋(そうふれん)といふ楽は、女、男を恋ふる故の名にはあらず、本は相府蓮、文字の通へるなり。晋の王倹、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府(れんぷ)といふ。

廻忽(かいこつ)も廻鶻(かいこつ)なり。廻鶻国とて、夷(えびす)のこはき国あり。その夷、漢に伏して後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。

[現代語訳]

『想夫恋(そうふれん)』という楽曲は、女が夫を恋いしがる故の名前ではない。元々、『相府蓮(そうふれん)』で、文字と音が似通っているものとの混同である。晋の王倹が大臣の時に、家に蓮を植えて愛した時の曲である。これにより、大臣を『蓮府』と呼ぶようになった。

『廻忽(かいこつ)』も『廻鶻(かいこつ)』というのが正しい。廻鶻国という異国で武芸の強い国があった。その国が漢に服従した後に、廻鶻の民が漢にやって来て、自分の国の音楽を演奏したということである。※王倹が実際に仕えたのは晋ではなくて宋や斉であり、この段落では幾つかの『史実の誤り』も指摘されている。

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