『平家物語』の原文・現代語訳12:妓王、独り参らん事の余りに心憂しとて~

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13世紀半ばに成立したと推測されている『平家物語』の原文と意訳を掲載していきます。『平家物語』という書名が成立したのは後年であり、当初は源平合戦の戦いや人物を描いた『保元物語』『平治物語』などと並んで、『治承物語(じしょうものがたり)』と呼ばれていたのではないかと考えられているが、『平家物語』の作者も成立年代もはっきりしていない。仁治元年(1240年)に藤原定家が書写した『兵範記』(平信範の日記)の紙背文書に『治承物語六巻号平家候間、書写候也』と書かれており、ここにある『治承物語』が『平家物語』であるとする説もあり、その作者についても複数の説が出されている。

兼好法師(吉田兼好)の『徒然草(226段)』では、信濃前司行長(しなののぜんじ・ゆきなが)という人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧にその物語を伝えたという記述が為されている。信濃前司行長という人物は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫の下野守藤原行長ではないかとも推定されているが、『平家物語』は基本的に盲目の琵琶法師が節をつけて語る『平曲(語り本)』によって伝承されてきた源平合戦の戦記物語である。このウェブページでは、『妓王、独り参らん事の余りに心憂しとて~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『平家物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),佐藤謙三『平家物語 上下巻』(角川ソフィア文庫),梶原正昭・山下宏明 『平家物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

妓王の事(続き)

妓王、独り参らん事の余りに心憂しとて、妹の妓女をも相具しけり。其の外白拍子二人、総じて四人、一つ車に取乗って、西八条殿へぞ参じたる。日頃召されつる所へは入れられずして、遥かに下がりたる所に、座敷しつらうてぞ置かれける。妓王、こは、されば何事ぞや。我が身に過つ事はなけれども、出され参らするだにあるに、あまつさへ座敷をだに下げらるる事の口惜しさよ。いかにせんと思ふを、人に知らせじと、抑ふる袖の隙(ひま)よりも、余りて涙ぞこぼれける。佛御前これを見て、あまりに哀れに覚えければ、入道殿に申しけるは、『あれはいかに、妓王とこそ見参らせ候へ。日頃召されぬ所にても候はばこそ。これへ召され候へかし。さらずば、わらはに暇を賜べ(たべ)。出で参らせん』と申しけれども、入道、『いかにも叶ふまじき』と宣ふ間、力及ばで出でざりけり。

入道、やがて出で会ひ対面し給ひて、『いかに妓王、其の後は何事かある。佛御前が余りにつれづれげに見ゆるに、今様をも歌ひ、舞なんどをも舞うて、佛慰めよ』とぞ宣ひける。妓王、参る程では、ともかくも入道殿の仰せをば、背くまじきものをと思ひ、流るる涙を抑へつつ、今様一つぞ歌うたる。

佛もむかしは凡夫なり 我等もつひには佛なり 何れも佛性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ

と、泣く泣く二返歌うたりければ、その座に並み居給へる、平家一門の公卿・殿上人・諸大夫・侍に至るまで、皆感涙をぞ催されける。入道も、げにもと思ひ給ひて、『時にとつては神妙にも申したり。さては舞も見たけれども、今日は紛るる事出で来たり。この後は、召さずとも常に参りて、今様をも歌ひ、舞などをも舞うて、佛慰めよ』とぞ宣ひける。妓王、とかうの御返事にも及ばず、涙を抑へて出でにけり。

妓王、『参らじと思ひ定めし道なれども、母の命を背かじと、つらき道に赴いて、二度うき恥を見つる事のくちをしさよ。かくてこの世になるならば、又も憂き目に逢はんずらん。今はただ身を投げんと思ふなり』といへば、妹の妓女これを聞いて、『姉身を投げば我も共に身を投げん』といふ。母とぢこれを聞くに悲しくて、泣く泣く又重ねて教訓しけるは、『さやうの事あるべしとも知らずして、教訓して参らせつる事の恨めしさよ。まことに、わごぜの恨むるも理なり。但しわごぜが身を投げば、妹の妓女も共に身を投げんといふ。若き娘どもを先立てて、年老い齢衰へたる母、命生きて何にかはせんなれば、我も共に身を投げんずるなり。未だ死期も来らぬ母に、身を投げさせんずる事は、五逆罪にてやあらんずらん。此の世は仮の宿なれば、恥ぢても恥ぢても何ならず。ただ永き世の闇こそ心憂けれ。今生で物を思はするだにあるに、後生でさへ悪道へ赴かんずる事の悲しさよ』と、さめざめとかきくどきければ、妓王涙をはらはらと流いて、

『げにも、さやうに候はば五逆罪疑ひなし。一旦憂き恥を見つる事のくちをしさにこそ、身を投げんとは申したれ。さ候はば、自害をば思ひ留り候ひぬ。かくて都にあるならば、又も憂き目を見んずらん。今はただ都の外に出でん』とて、妓王二十一にて尼になり、嵯峨の奥なる山里に、柴の庵をひき結び、念仏してぞ居たりける。妹の妓女、これを聞いて、姉身を投げば、我も共に身を投げんとこそ契りしか、ましてさやうに世を厭はんに、誰か劣るべきとて、十九にて様をかへ、姉と一所に籠り居て、ひとへに後世をぞ願ひける。母とぢこれを聞いて、若き娘どもだに様をかふる世の中に、年老い齢衰へたる母、白髪を付けても何にかはせんとて、四十五にて髪を剃り、二人の娘もろともに、一向専修に念仏して、後世を願ふぞあはれなる。

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[現代語訳・注釈]

妓王一人で参るのはあまりに辛いので、妹の妓女と、白拍子が二人、総勢四人で一つの車に乗って西八条殿に向かいました。妓王は招聘された時のいつもの席には着けず、遥かに末席に座らされました。妓王はこれはどういうことなのでしょうか。自分には何の落ち度も無く、理由も無しに捨てられた上、こんな末席に座らされるとは本当に悔しくてたまらない。

どうすれば良いのかと思うと悲しくなり、人に見られないようにと思うものの、袖の隙間から涙が溢れてしまいます。仏御前は妓王の悲しい姿を見て、あまりにも可哀相に思いましたので、入道に『どうしたのでしょう。あそこにいらっしゃるのは妓王様ではございませんか。いつもと違う席に座られているではありませんか。こちらにお呼びしましょう。でなければ、私にお暇を下さい。席を外しますので』と伝えましたが、入道相国(平清盛)が『それは許さぬ』と言いますので、どうしようもなくてそこに居るしかありません。

やがて入道は妓王に対面して、『妓王よ、その後に何か変わったことはないか。仏御前があまりに退屈で寂しそうなので、今様でも歌ったり、舞などを舞ったりして仏を慰めてくれ』と、おっしゃいました。妓王もこうして参上したからには、入道の言葉に逆らうこともできず、涙を抑えながら今様を一曲、歌いました。

佛もむかしは凡夫なり 我等もつひには佛なり 何れも佛性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ

泣く泣く二回、その今様を歌うと、その座に並んで座っていた平家一門の公卿や殿上人、諸太夫、侍に至るまで、皆が感激して涙にむせんだのです。入道もさすがに素晴らしいと思い、『即興にしては神妙な出来栄えだ。舞のほうも見たいが、今日は所用があって見ることが出来ない。これからは、こちらが呼ばなくても参って、今様を歌ったり舞などを舞って、仏を慰めてくれ』と言いつけました。妓王は何の返事もすることができず、涙を抑えてその場を退出したのです。妓王は『行かないでおこうと心に決めていましたが、母の命令に背くわけにはいかず、辛さを我慢して参ったのですが、あのような恥辱を受けるのはこの上なく悔しい事です。こうして生きていると、また同じような辛い目に逢うのでしょう。今はもう身を投げたいと思います』と言うと、妹の妓女がこれを聞いて、『姉上が身投げをするなら、私も一緒に致します』と言います。

これを聞いたとぢは、とても悲しんで泣きながら諭します。『そのようなことがあるとも知らず、無理やりに入道の所に参らせたのは本当に悔しく思います。本当にあなたが悲しみ嘆くのも当然の事です。しかし、貴女が身投げをしたら、妹の妓女も同じように身を投げると言っている。若い娘を先立たせて年老いて衰えた母が、これ以上生き永らえても仕方が無いので、その時はこの母も一緒に身投げします。でも、まだ死期が来ていない母に身投げをさせるというのは、仏道における五逆罪になります。この世は所詮は仮の住まいであり、どんなに恥をかこうとも大したことは無いのです。ただこの現世で長く続くであろう暗くて陰鬱な生活が嫌なのです。この世でさえこんな有様なのに、来世でも悪道に堕ちるというのは悲しいではないですか』と、さめざめと泣きながらあれこれ言います。

妓王は母の言葉を聞いて涙を流しながら、『確かにそう言うことであれば、五逆罪に当たる事は疑いがありません。一旦ひどい恥をかかされた事の悔しさから、つい身を投げてしまおうと言ってしまったのです。そうであれば、自害は思い留めることにしてやめます。このまま都に住んでいると、いつかまた辛い目に遭わされると思います。私はこの都を出ることに決めました』と、妓王は二十一歳で尼となり、嵯峨の奥里に柴の庵を結んで念仏三昧の日を送りました。妹の妓女もこれを聞き、姉上が身を投げるなら、私も共にと思っていたので、私もまたこの世を疎ましく思う気持ちは誰にも劣りませんと、十九歳にして出家して姉と一緒に庵に篭り、ただ来世を願い続ける生活をすることにしたのです。

母のとぢも、『若い娘たちが出家してしまった俗世で、年老いて衰えた母だけが、白髪を守っている事に何の意味があるのか』と言って、四十五歳にして髪を剃って出家し、二人の娘たちと共にただひたすらに念仏を唱和して来世の幸せを願うことにしたのですが、これもまた哀れな事でした。

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