『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』や『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。
『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。
参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)
[古文・原文]
人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目(おほんめ)は白眼にて臥し給へり。人々、水をすくひ入れ奉る。からうして生き出で給へるに、また鼎の上より、手取り足取りしてさげ下ろし奉る。からうして、『御心地(おほんここち)はいかがおぼさるる』と問へば、息の下にて、『ものは少しおぼゆれど、腰なむ動かれぬ。されど子安貝をふと握りもたれば、うれしくおぼゆるなり。まづ、脂燭(しそく)さして来(こ)。この貝、顔見む』と御頭(みぐし)もたげて御手(おほんて)をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞(ふるくそ)を握り給へるなりけり。
それを見給ひて、『あな貝なのわざや』とのたまひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、『かひなし』と言ひける。
[現代語訳]
家来の人たちは驚いて、近寄って中納言を抱き起こした。中納言は白目を剥いて気絶し、横たわっている。家来たちが、水をすくってから飲ませた。ようやく意識を取り戻したので、鼎の上から手を取ったり足を取ったりして、地面へと下ろした。『ご気分はいかがですか。』と尋ねると、やっとのことで苦しそうな息をしながら、『意識は少しはっきりしてきたが、腰を痛めて動けない。しかし、子安貝をさっと握ったので、嬉しく思っているところだ。まずは明かりを持ってこい。子安貝の顔を見てやる。』と言って、頭を持ち上げて手のひらを開いた。しかし、(子安貝ではなく)燕が垂らした古い糞を握っていただけだった。
それを見て、『あぁ、貝がないではないか。』とおっしゃったので、思っていた事と実際が違うことを、『かいなし(貝無し・甲斐無し)』と言うようになった。
[古文・原文]
貝にもあらずと見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃(からひつ)のふたの入れられ給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。中納言は、わらはげたるわざして止むことを、人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にて、いと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを、日にそへて思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞き恥づかしくおぼえ給ふなりけり。
これをかぐや姫聞きて、とぶらひにやる歌、
年を経て 波立ち寄らぬ 住の江の まつかひなしと 聞くはまことか
とあるを読みて聞かす。いと弱き心に頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地にからうして書き給ふ。
かひはかく ありけるものを わび果てて 死ぬる命を すくひやはせぬ
と書き果つる、絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫、『少しあはれ』とおぼしけり。それよりなむ、少しうれしきことをば、『かひあり』とは言ひける。
[現代語訳]
中納言は自分が握っていた物が貝ではないことを見てしまったので、がっかりと気落ちしてしまい、担架になる唐櫃の蓋に収めることができなくなり(体が曲がらなくなり)、遂には腰が折れてしまった。中納言は子供のような幼稚な振る舞いをして腰骨が折れたことを、世間に知られたくないと思い、隠そうとして気疲れしてしまい、更に病気が悪化して弱っていった。日にちが経つにつれて、子安貝が取れなかったことよりも、人から笑われることを気にするようになり、ただ病気で死ぬことよりも恥ずかしいことをしてしまったと思って悩むようになった。
これをかぐや姫が聞いて、お見舞いとして送った歌、
長い間、こちらに立ち寄って下さっていないですが、波も立ち寄らない住吉の松ではないですが、待つ貝(松・甲斐)もないという話を人づてに聞いています。それは本当なのでしょうか。
この歌を家来が読んで中納言に聞かせた。中納言はとても弱った心のまま、頭を持ち上げて、人に紙を持って来させて、苦しい息をしながら何とか返歌を書いた。
貝は見つかりませんでしたが、姫からお見舞いの歌を頂き、甲斐はありました。しかしそのようなお気持ちがあるのに、どうして落胆と恥ずかしさで死にそうな私の命を、姫は匙で掬うように救って下さらないのですか。
と書き終えると、亡くなってしまった。これを聞いたかぐや姫は、『少し可哀想だ。』と思った。この逸話によって少し嬉しいことを、『かいあり(貝有り・甲斐有り)』と言うようになった。
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