『枕草子』の現代語訳:129

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『いみじうきたなきもの  なめくぢ。えせ板敷の帚の末。殿上の合子。~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

248段

いみじうきたなきもの

なめくぢ。えせ板敷(いたじき)の帚(はわき)の末。殿上の合子(ごうし)。

249段

せめて恐ろしきもの

夜鳴る神。近き隣に盗人の入りたる。わが住む所に入りたるは、ものもおぼえねば、なにとも知らず。近き火、また恐ろし。

250段

頼もしきもの

ここちあしきころ、伴僧(ばんそう)あまたして、修法(しゅうほう)したる。ここちなどのむつかしきころ、まことまことしき思ひ人の、言ひなぐさめたる。

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[現代語訳]

248段

ひどく汚いもの

なめくじ。粗末な板敷(いたじき)をはわく箒(ほうき)の先。殿上の間の蓋付きのお椀としての合子(ごうし)。

249段

何とも恐ろしいもの

夜に鳴る雷。近い隣に盗人が入った時。自分が住んでいる所に入ったのは、パニックになって何も覚えていないものだから、何とも思わないのだ。近い所の火事、これもまた恐ろしい。

250段

頼もしいもの

病気をした時に、伴僧(ばんそう)を大勢引き連れて、加持祈祷をすること。気分が優れずイライラしている時に、誠実で自分を大切にしてくれる思い人が、自分を慰めてくれること。

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[古文・原文]

251段

いみじうしたてて婿(むこ)取りたるに、ほどもなく住まぬ婿の、舅(しゅうと)にあひたる、いとほしとや思ふらむ。

ある人の、いみじう時にあひたる人の婿になりて、ただ一月ばかりもはかばかしう来(こ)でやみにしかば、すべていみじう言ひ騒ぎ、乳母(めのと)などやうの者は、まがまがしき事など言ふもあるに、そのかへる正月(むつき)に蔵人になりぬ。「あさましう、かかるなからひには、いかで、とこそ人は思ひたれ」など言ひあつかふは、聞くらむかし。

六月に、人の八講(はっこう)したまふ所に、人々集りて聞きしに、蔵人になれる婿の、れうの表(うへ)の袴、黒半臂(くろはんぴ)など、いみじう鮮やかにて、忘れにし人の車のとみの尾といふ物に、半臂(はんぴ)の緒をひきかけつばかりにて居たりしを、いかに見るらむと、車の人々も、知りたる限りはいとほしがりしを、異人々(ことひとびと)も、「つれなく居たりしものかな」など、後にも言ひき。

なほ、男は、物のいとほしさ、人の思はむことは、知らぬなめり。

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[現代語訳]

251段

大げさに支度をして婿を取ったのに、間もなく通ってこなくなった婿が、舅に出会ったのは、気の毒だと思うことなのだろうか。

ある人が、とても権勢を得ている人(家)の婿になって、わずか一ヶ月ほどのよく通ってこないで、そのままになってしまったので、その権勢家の家ではとても騒いでいて、娘の乳母などの近しい者は、禍々しい呪いの言葉を言う者もあるのに、翌年の正月に、その婿が蔵人になった。「驚いたな、このように不仲になったからには、どうして、と人々は思っていたのだが」などと言い合っているのは、本人も聞くことになるだろう。

六月に、ある人が八講(はっこう)を開催された所に、人々が集まって聞いていた時、蔵人になった婿が、綾の表(うへ)の袴、黒半臂(くろはんぴ)など、とても鮮やかないでたちで、自分が忘れていた女の車のとみの尾という物に、半臂(はんぴ)の緒をひっかけるほどに近い場所にいたのを、その女はどのように見ているのだろうかと、その車の人々も、事情を知っている人々はとても気の毒に思ったが、他の人々も、「よく平気な顔をしてあんな場所に居られるものだ」など、後になっても文句を言っていた。

やはり、男というものは、人を気の毒に思わせるとか、人が自分をどう思っているかとか、そういった事は知らないで済ませる存在のようだ。

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