『枕草子』の現代語訳:132

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『十月十よ日の月のいと明きに、ありきてもの見むとて、女房十五、六人ばかり~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

258段

十月十よ日の月のいと明きに、ありきてもの見むとて、女房十五、六人ばかり、皆濃き衣(きぬ)を上に着て、ひきかへしつつありしに、中納言の君の紅の張りたるを着て、頸(くび)より髪をかき越したまへりしが、新しきそとばにいとよくも似たりしかな。「雛のすけ」とぞ、若き人々つけたりし。後(しり)に立ちて笑ふも、知らずかし。

259段

成信(なりのぶ)の中将こそ、人の声はいみじうよう聞き知りたまひしか。同じ所の人の声などは、常に聞かぬ人はさらにえ聞き分かず、ことに男は、人の声をも手をも、見分き聞き分かぬものを、いみじうみそかなるも、かしこう聞き分きたまひしこそ。

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[現代語訳]

258段

十月十何日かのとても月が明るい晩、歩いて見物しましょうといって、女房が15~16人ほど、みんな濃い紫色の衣を上に着て、裾を上げていたのに、中納言の君が紅(くれない)の板張りにしたのを着て、首の所から髪を前に回しておられたのが、新しいそとばにとてもよく似ていたのだった。「雛のすけ(人形のような次官)」と、若い女房たちはあだ名をつけたのだった。後から付いていきながら笑うのも、本人は知らない。

259段

成信(なりのぶ)の中将は、人の声をとてもよく聞き分ける人であった。同じ所にいる女房の声などは、常日頃から聞かない人はまったく聞き分けることができない。得に男性は、人の声も筆跡も見分けたり聞き分けたりできないものなのに、このお方は小さなひそひそ声でも、きちんと聞き分けることができるのだから凄いものである。

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[古文・原文]

260段

大蔵卿(おおくらきょう)ばかり耳とき人はなし。まことに蚊のまつげの落つるをも聞きつけたまひつべうこそありしか。

職の御曹司(しきのおんぞうし)の西面(にしおもて)に住みしころ、大殿の新中将、宿直(とのゐ)にて、ものなど言ひしに、そばにある人の、「この中将に、扇の絵のこと言へ」と、ささめけば、(清少納言)「今、かの君の立ちたまひなむにを」と、いとみそかに言ひ入るるを、その人だにえ聞きつけで、「なにとか、なにとか」と耳を傾け来るに、遠く居て、(正光)「にくし。さのたまはば、今日は立たじ」と、のたまひしこそ、いかで聞きつけたまふらむと、あさましかりしか。

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[現代語訳]

260段

大蔵卿ほど、耳ざとい人(地獄耳な人)はいない。本当に蚊のまつげが落ちる音さえも、聞きつけなされかねないほどであった。

職の御曹司の西面に住んでいた頃、大殿の新中将が宿直をされていたので、お話などをしていた時、横にいる女房が、「この中将に、扇の絵のことを言って」とささやくので、「今、あの君が席をお立ちになってから言いますね」と、非常に小声で言ったのを、その本人でさえ聞きつけることができないで、「何ですか、何ですか」と耳を傾けて来るのに、遠くに座っていらっしゃるにも関わらず、(正光・中将)が「憎らしい。そんな風におっしゃるなら、今日は席を立つまい」とおっしゃったのは、どうしてそんなに小さな声を聞くことができるのだろうかと、呆れてしまったのだった。

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