一夜十起
(いちやじっき)
[意味]
「兄の子の看病のために、一晩に十回も起きた」という故事にちなんだ言葉で、どれだけ禁欲的で高潔な人格を持つ人であっても、利己心や執着を完全に無くしてしまうことはできないという意味。私利私欲の捨てがたさ、私心・執着心の乗り越えがたさのことを言っている。
中国の後漢の時代、私心を捨てて悟りを開いたと言われる第五倫(だいごりん)という者がいたが、人から「あなたには私心・私利私欲が本当にないのか」と聞かれた。すると、第五倫は「兄の子が病気の時には一晩に十回も起きて看病をした。自分の子が病気の時には起きなかったが一睡もできなかった。こんな自分にどうして私心がないなどということが言えようか(親族や自分の子供の病状を心配する私心・執着心が私にもあるのだ)」と答えたのである。
[出典]
『後漢書』 第五倫伝
[用例]
目の中に入れても痛くない孫は、正に一夜十起の思いの現れである。悟り澄ました顔をしていても、いざお金の話になると目の色を変える一夜十起である。自分や家族が大きな病気をした時に初めて、自分もまた他の人たちと変わらない一夜十起の凡人であることを思い知らされるものである。
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『新明解四字熟語辞典 第二版』(三省堂),『大修館 四字熟語辞典』(大修館),竹田晃『四字熟語・成句辞典』(講談社学術文庫)