14.河原左大臣 陸奥の〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『河原左大臣の陸奥の〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに

河原左大臣(かわらのさだいじん)

みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに

陸奥の地で生産される『しのぶ摺り』の乱れた模様のように私の心は強く乱されているが、これは誰のせいなのだろうか。私のせいではないのに(あなたのせいなのに)。

[解説・注釈]

河原左大臣とは、源融(みなもとのとおる,822-895)のことである。源融は嵯峨天皇の皇子だったが、臣籍降下して『源氏』の姓を賜り、六条河原にある別荘『河原院(かわらのいん)』に住んだことから河原左大臣と呼ばれるようになった。

河原院には、東北地方の塩竈を真似た庭園があり、京都の中にエキゾチックな空間を作り出していたという。在原業平とも交友関係があったとされる風流人の源融は、宇治にも別邸を持っておりこの別邸は後に『平等院』へと改築されることになる。

『陸奥のしのぶもぢずり』とは、東北地方・信夫郡(現在の福島県)の名産品で、乱れ模様に摺って染められた布であり、当時の京都では珍しい異国情緒を感じさせる品物であった。東北地方で生産される『乱れ模様の布』と『恋に乱れて苦しい気持ち』を重ね合わせた歌だが、『東北(陸奥)の情景』を再現したかのような河原院に住む源融の恋心を表現するのにふさわしい歌になっている。

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