『枕草子』の現代語訳:19

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

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石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

30段

説経(せきょう)の講師は顔よき。講師の顔を、つとまもらへたるこそ、その説くことの尊さも覚ゆれ。ひが目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪や得らむと覚ゆ。このことは、とどむべし。少し齢(とし)などのよろしきほどは、かやうの罪得がたのことは、かき出でけめ。今は罪いと恐ろし。

また、尊きこと、道心多かりとて、説経すといふ所ごとに、最初に行きゐるこそ、なほ、この罪の心には、いとさしもあらで、と見ゆれ。

蔵人(くろうど)など、昔は御前などいふわざもせず、その年ばかりは内裏(うち)わたりなどには、影も見えざりける。今はさしもあらざめる。蔵人の五位とて、それをしもぞ、忙しう使へど、なほ、名残つれづれにて、心一つは暇(いとま)ある心地すべかめれば、さやうの所にぞ、一度二度も聞きそめつれば、常にまでまほしうなりて、夏などのいと暑きにも、帷子(かたびら)いとあざやかにて、薄二藍(うすふたあい)、青鈍(あをにび)の指貫(さしぬき)など、踏み散らしてゐためり。烏帽子(えぼし)に物忌付けたるは、さるべき日なれど、功徳(くどく)のかたには障らずと見えむ、とにや。

その事する聖(ひじり)と物語し、車立つることなどをさへぞ見入れ、ことについたるけしきなる。久しう会はざりつる人のまうで逢ひたる、珍しがりて近うゐより、物言ひうなづき、をかしき事など語り出でて、扇広うひろげて、口にあてて笑ひ、よく装束したる数珠かいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして、車のよしあしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講(はっこう)、経供養(きょうくよう)せしこと、とありしこと、かかりしこと、言ひくらべゐたるほどに、この説経の事は聞きも入れず。なにかは、常に聞くことなれば、耳馴れて、珍しうもあらぬにこそは。

[現代語訳]

30段

説経の講師は顔が良いほうがよい。講師の顔に見とれて見守っていればこそ、その説き聞かせる仏法のありがたみも分かるというものである。よそ見していると、聞いたことをすぐに忘れてしまうので、顔の悪い講師の説法を聞くと、説法をちゃんと聞けずに罪を犯してしまうような気分になるのだ。こんなことは、書かないでおくべきなのだが。私ももう少し年が若ければ、こんな罪を犯しそうなことでも平気で書いただろうけど。(年を重ねて死も意識してくる)今では、仏法に背く罪は恐ろしいものだ。

また、説法はありがたいものだ。しかし、自分は信仰心が強いのだといって説法をする所に最初に急いで出かけていって座っているような人は、やはり罪深い私のような者の気持ちからすると、そこまでしなくても良いのではないかと思ってしまうのである。

蔵人の役目を降りた人は、昔はもう行幸の先駆けなどもせずに、退官したその年には見栄えが悪いといって、宮中には影も形も見せないものだった。しかし、今ではそうでもないようで、蔵人の五位といえば、逆にそうした者を忙しく召し使うのだけれど、やはり、昔の激務を思えば手持ち無沙汰であり、その気持ちは今は暇だなあと感じてしまう。だから、説経をしている所に、一度二度と行ってしまうと、いつもそこに行きたくなって、非常に暑い夏でも、洒落たかたびらを透かせて、薄二藍や指貫などを派手にはいて座っている連中も多いのである。そういった人たちが烏帽子をかぶって物忌の札を付けているのは、家に篭って謹慎すべき日なのだが、仏法の功徳を積むためだから仕方ないという風に見せかけているのである。

説経する僧侶と世間話をしたり、女性の聴聞客が庭に車を立てることにも口出ししたり、そこが自分の場所であるかのような顔つきである。長く会っていなかった人と再会すると、懐かしく思って座り込んで話し、話しては頷き、面白い話などをし始めて、扇を広くひろげて口に当てて笑い、立派に装飾してある数珠を手でもてあそび、手繰って、あちらこちらを見回している。庭に立てた車の良し悪しを論評したり、ほめたりけなしたり、またどこそこで誰かの主宰した八講や経供養の話をして、こんなことがあったあんなことがあったと、言い比べていると、本題の説経の内容などはまるで耳に入らない。それがどうしたという感じで、いつも聞いている説経だから、耳に慣れてしまって何も聞くべき珍しい話がないということなのだろう。

[古文・原文]

30段(続き)

さはあらで、講師居てしばしあるほどに、前駆(さき)すこし追はする車とどめておるる人、蝉の羽よりも軽げなる直衣(なほし)、指貫、生絹(すずし)のひとへなど著たるも、狩衣(かりぎぬ)の姿なるもさやうにて、若う細やかなる、三、四人ばかり、侍の者またさばかりして入れば、はじめ居たる人々も、少しうち身じろきくつろい、高座のもと近き柱もとに据ゑつれば、かすかに数珠押しもみなどして聞きゐたるを、講師もはえばえしく思ゆる(おぼゆる)なるべし、いかで語り伝ふばかりと説き出でたなり。

聴聞(ちょうもん)すなど倒れ騒ぎ、額(ぬか)づくほどにもなくて、よきほどに立ち出づとて、車どもの方など見おこせて、我どち言ふ事も、何事ならむと覚ゆ。見知りたる人は、をかしと思ふ、見知らぬは、誰ならん、それにやなど思ひやり、目をつけて見送らるるこそ、をかしけれ。

「そこに説経しつ、八講しけり」など、人の言ひ伝ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、定まりて言はれたる、あまりなり。などかは、無下にさしのぞかではあらむ。あやしからむ女だに、いみじう聞くめるものを。さればとて、はじめつ方は、徒歩(かち)ありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などして、なまめき化粧じてこそは、あめりしか。それも、物詣で(ものもうで)などをぞせし。説経などには、殊に多く聞えざりき。この頃、その折さし出でけむ人、命長くて見ましかば、いかばかり、そしり誹謗せまし。

[現代語訳]

30段(続き)

そういった人たちとは違って、講師が講座に上って話し始めてから暫く経った頃に、前駆の声が聞こえた車を先に止めて、降りてきた人を見れば、蝉の羽より軽そうな直衣、指貫、生絹の単などを着た人がいて、狩衣姿の人も同じような軽快な感じである。若くてほっそりとした貴公子が3~4人ほど、それに同じくらいの人数のお供を連れて、彼らが会場に入ってきたので、最初に座っていた人も少し遠慮して身体をずらして席を空け、一行の人々に講座にほど近い柱の所に座らせた。高貴な彼らが少し数珠を押し揉むようにして説経の話を聞いているので、講師も晴がましい気持ちになったのだろうか、どうにかして後世に語り継がれるような素晴らしい説法をしようとして熱が入り始めた。

説法を聴聞する時に、押したりこけたりの大騒ぎをするわけではなく、額をこすりつけてお参りするといった大げさな様子もない、ちょうど良い頃合に立ち去ろうとして、庭に立てた車のほうを見ながら、彼らが話し合っているのも、何を話しているのだろうかと興味を引かれる。彼らを知っている人は素晴らしいと思うし、知らない人も誰だろう、あの人なのだろうかと想像する。貴公子たちの帰る姿をみんなが見つめてそれぞれに見送っている姿は、面白いものだ。

「どこそこで説経があった、八講が開かれた」などと人々が話して伝えていると、「あの人はいましたか」「あの人はどうされたのでしょうか」などと、決まった言葉がいつも交わされているのは、あんまり良いものでもない。かといって、全くそういったありがたい説法の場に赴かないというのは問題だろう。身分の低い女でさえも、説法を熱心に聞くことがあるのだから。だが、以前は徒歩で説法の場へと出かける人はいなかった。稀に、壺装束の身なりをして綺麗にお化粧をした女性の姿はあったが。それらの女性もほとんどは、お寺参りの人たちであった。昔は、説経などに出かけていく女の人はほとんどいなかったのだ。女性が説法にやってくるという最近の風潮を、昔の時代に生きて説法に時々顔出ししていた男が、長生きして説法を聞く女性の姿を見たならば、どんなに強く非難することだろうか。

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