このウェブページでは、『史記 扁鵲・倉公列伝 第四十五』の2について現代語訳を紹介しています。
参考文献
司馬遷『史記 全8巻』(ちくま学芸文庫),大木康 『現代語訳 史記』(ちくま新書),小川環樹『史記列伝シリーズ』(岩波文庫)
[『史記 扁鵲・倉公列伝 第四十五』のエピソードの現代語訳:2]
その後、扁鵲(へんじゃく)はカク(国名・すでに滅びている国)に立ち寄った。それはカクの太子が死んだ直後だった。扁鵲は宮殿の門のところに行って、中庶子(官名)で医術を好む者に質問した。
「太子は何のご病気でしたか?国中の祈祷のやり方はただ事ではないと感じましたが」
「太子のご病気は血気の運行が不規則になり、錯乱して正常に血気を発散できなくなることで鬱血した血気が暴発したのです。その結果、体内に障害が起こりました。つまり、精気が邪気を抑えられなくなり、邪気が鬱積して発散できず、そのために陰陽の調和が崩れたのです。陽気の働きが緩やかになり陰気の働きが急になったので、にわかに逆上して死んでしまわれました」
「死亡したのはいつ頃ですか?」
「夜明けから今し方までの間です」
「納棺されましたか?」
「納棺はまだです。亡くなられてからまだ半日も経っていませんから」
「私は斉の渤海郡の秦越人(しんえつひと)という者であり、家は鄭(てい)にあります。これまで太子の尊容を拝する機会がなく、従って謁見もできませんでした。今うかがえば太子は不幸にも死亡されたとのことですが、私であれば生き返らせることができます」
「ウソをついているわけではないでしょうね。どうしてまた太子を生き返らせることができるなどと言われるのですか?聞くところによりますと、大昔、愈付(ゆふ、黄帝時代の名医)という名医がいて、病気を治すのに煎薬(せんやく)・酒類・鍼(はり)・アンマ・膏薬(こうやく)などを用いず、ちょっと病人の衣服を開いて見るだけで病気の兆候を知り、五臓のシュ欠(しゅけつ)の様子で、
皮膚を裂き、肉を切開してつまった脈を通らせ、切れた筋を結び、骨髄・脳髄を抑えてコウ膜をさらい、胃腸を洗い、五臓をすすいで、心気を治めて身体を整えたと伝えられています。
先生の医術がこのように優れているのであれば、太子を生き返らせることができるでしょう。とてもこのレベルまでいかないのに、太子を生き返らせられるとおっしゃられても、赤ん坊にすら相手にされないでしょう」
このような話でその日が暮れてしまうと、扁鵲は天を仰いで嘆息して言った。
「あなたの医術などは管を通して天をうかがい、隙間からこみ入った模様を見るようなものでとても全体を見通すことはできません。しかし私の医術は、脈を診たり顔色をうかがったり、声を聞いたり容貌を察したりするまでもなく、病気の所在を言い当てられるのです。
病気の陽(表)を聞けば陰(裏)も分かり、陰を聞けば陽も分かるのです。病気の兆候は外見に現れるものですから、千里の外にまで出かけて診察しなくても正確な診断を下せることがとても多く、蔽い隠すことなどはできるものではありません。
私の言葉が本当ではないと思うのでしたら、ためしに殿中に入って太子を見てみてください。その耳が鳴り鼻がふくらむ音を聞くことでしょう。その両股を撫でて陰部に触れればまだ温かいことでしょう」
中庶子は扁鵲の言葉を聞くと、目はくらんで瞬きもせず、舌はこわばって動かせなかった。そして殿中に入って扁鵲の言葉をカク君に伝えた。カク君はこれを聞いて大いに驚き、出御して中門のところで扁鵲に会って言った。
「ご高義について秘かにお聞きするところでは、すでに日久しいことでありますが、まだお目にかかったことがありませんでした。先生がこの小国に立ち寄られ幸いにも太子の病気を気にかけてくださいましたのは、片田舎の国の太子にとりまして甚だ幸福なことでございます。
先生がおられたからこそ生き返ることができますが、先生がいらっしゃらなかったら捨てられて溝にうずくまり、そのまま永久に死んでしまったことでしょう」
言い終わらずすすり泣いて胸をせき上げ、顔色は曇り涙はとめどなく流れて睫毛にあふれ、悲しみをとどめる手段もなく、容貌は変わり果ててしまった。扁鵲は言った。
「太子の病気のようなものがいわゆるシケツ(逆上して仮死状態になる病気)です。そもそも陽気がくだって陰気の中に入り、それが胃を動かして経脈(陽の脈)・絡脈(陰の脈)にまつわり、分かれて三焦(さんしょう)の下焦である膀胱にくだります。
そのため、陽脈は下にくだり陰脈は上に向かって争い、八会(体内の気が集まる八処)の気はふさがれて通じず、陰気は上にのぼり、陽気は内をまわり、下にくだった陽気は身体の下部で鼓動はしても上には向かわず、上にのぼった陰気はのぼりっぱなしになって陰の役を果たせなくなります。
こうして上には陽気の絶えた絡脈があり、下には陰気の破れた経脈があり、陰陽の調和が崩れて顔色が悪くなり、脈が乱れて体は動かなくなります。その結果、死んだようになるわけです。太子はまだ死んではいません。いったい、陽気が陰気に入って五臓を支える者は生きますが、陰気が陽気に入って五臓を支える者は死にます。
これら数々のことは五臓が体内で逆上する時に急激に起こるものなのです。上手な医者はこの事実を信じますが、下手な医者は疑って信じないのです」
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