『枕草子』の現代語訳:135

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『関白殿、二月二十一日に、法興院の積善寺といふ御堂にて、一切経供養ぜさせたまふに~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

263段

関白殿、二月二十一日に、法興院の積善寺といふ御堂にて、一切経供養ぜさせたまふに、女院もおはしますべければ、二月朔日(ついたち)のほどに、二条の宮へ出でさせたまふ。ねぶたくなりしかば、何ごとも見入れず。

つとめて、日のうららかにさし出でたる程に起きたれば、白う新しう、をかしげに造りたるに、御簾(みす)より始めて、昨日かけたるなめり、御しつらひ、獅子、狛犬(こまいぬ)など、いつのほどにか入り居けむとぞ、をかしき。桜の、一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階(みはし)のもとにあれば、いと疾く咲きにけるかな、梅こそ、ただ今は盛りなれと見ゆるは、作りたるなりけり。すべて花のにほひなど、つゆまことに劣らず。いかにうるさかりけむ。雨降らば萎みなむかしと思ふぞ、口惜しき。小家などいふ物多かりける所を、今造らせ給へれば、木立など、見所あることもなし。ただ宮のさまぞ、け近うをかしげなる。

殿渡らせ給へり。青鈍(あおにび)の固紋(かたもん)の御指貫(おんさしぬき)、桜の御直衣(おんなほし)に、紅の御衣(おんぞ)三つばかりを、ただ御直衣にひき重ねてぞ、奉りたる。御前(おまえ)よりはじめて、紅梅の濃き薄き織物、固紋、無文などを、ある限り着たれば、ただ光り満ちて見ゆ。唐衣(からぎぬ)は、萌黄(もえぎ)、柳、紅梅などもあり。

御前に居させ給ひて、物など聞えさせ給ふ。御答へなどのあらまほしさを、里なる人などにはつかに見せばやと見奉る。女房など御覧じ渡して、(道隆)「宮、何事を思しめすらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそは、羨しけれ。一人わるき容貌(かたち)なしや。これ皆、家々の女(むすめ)どもぞかし。あはれなり。ようかへりみてこそ、さぶらはせ給はめ。さても、この宮の御心をば、いかに知り奉りて、かくはまゐり集り給へるぞ。いかにいやしく物惜しみせさせ給ふ宮とて、我は宮の生まれさせ給ひしよりいみじう仕うまつれど、まだおろしの御衣一つ賜はらず。何か、しりう言には聞えむ」など、のたまふがをかしければ、笑ひぬれば、「まことぞ、烏滸(をこ)なりと見て、かく笑ひいまするが、恥づかし」など、のたまはする程に、内裏(うち)より、式部の丞某(しきぶのじょうなにがし)、まゐりたり。

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[現代語訳]

263段

関白・道隆様が、二月二十一日に、法興院の積善寺(ほうこういんのしゃくぜんじ)という御堂で、一切経の供養をされるのに、女院(にょいん)もいらっしゃるということなので、中宮様は二月一日の頃に、二条の宮へと退出された。眠たくなってしまったので、御殿の様子は何も見えない。

翌朝、日のうららかに差し出た頃に起きてみると、木も白くて新しく、風情ある感じで造ってある上に、御簾をはじめとして、昨日新しくかけたものと見えて、御座所の様子も、御帳台の獅子、狛犬の置物など、いつの間に入り込んで座ったのだろうと、面白い。桜が、一丈ほどの高さで今が盛りと見えるのが、御階(みはし)の所にあるので、本当に早く咲いたものだこと、梅がちょうど今が盛りだと見えるのは、作り物なのであった。花の色艶などすべての点で、まったく本物に見劣りしない。どんなにか凝って作られたものだろう。雨が降ったら萎んでしまうだろうと思うと、勿体ないことである。小家といったものが多く立ち並んでいた所に新たな増築されたので、庭の木立などは何も趣きがない。ただ御殿の様子が、親しみがあって風流なのである。

関白様が、いらっしゃった。青鈍(あおにび)の固紋(かたもん)の御指貫(おんさしぬき)、桜がさねの御直衣(おんなほし)に、紅の下着三つばかりを、じかに御直衣に重ねてお召しになっていらっしゃる。中宮様をはじめとして、紅梅の濃い薄い織物、固紋、無紋などを、仕えている女房たちみんなが着ているので、ただ部屋の中が(派手な美しい衣裳で)光り輝いていてまぶしく見える。唐衣(からぎぬ)は、萌黄(もえぎ)、柳、紅梅などもある。

関白様は中宮様のお前にお座りになられて、お話などをされている。中宮様のご返事などは望ましいものであり、里にいる人などにちょっとでも見せたいものだと思って拝見している。女房などをお見わたしになられて、(道隆)「宮は、何をご心配されることなどありましょうか。こんなに美しい女房たちを並べて侍らせて御覧になれるというのは、羨しいばかりです。一人として悪い容貌の女はいないではないですか。これらの女は皆、身分のある家柄の女(むすめ)たちですぞ。素晴らしいことです。よく目を掛けてあげて、お仕えさせるのが良い。それにしても、皆さんはこの宮のご性格を、どのようなものか知って、こんなに大勢の人たちが集まっていらっしゃるのですかな。この宮がどんなにケチ(吝嗇)で物惜しみをされる性格かといったら、私は宮が生まれてからずっとしっかり仕えているのだが、まだおさがりの着物一枚すら賜わったことがない。いや何か、陰で不満を言うのではない」などとおっしゃるのがおかしいので、女房たちが笑うと、「本当のことだぞ、馬鹿なことを言っていると思って、このようにお笑いになるが、恥ずかしいことよ」などおっしゃっているうちに、宮中から、式部の丞なにがしとかが、帝の使者として参上した。

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[古文・原文]

263段(続き)

御文(おふみ)は、大納言殿取りて殿に奉らせ給へば、引き解きて、(道隆)「ゆかしき御文かな。許され侍らば、あけて見はべらむ」とはのたまはすれど、(道隆)「危し(あやふし)とおぼいためり。かたじけなくもあり」とて、奉らせ給ふを、取らせ給ひても、ひろげさせたまふやうにもあらず、もてなさせ給ふ御用意ぞ、ありがたき。

御簾(みす)の内より、女房、茵(しとね)さし出でて、三、四人、御几帳(みきちょう)のもとに居たり。(道隆)「あなたにまかりて、禄(ろく)の事ものし侍らむ」とて立たせ給ひぬる後ぞ、御文御覧ずる。御返り、紅梅の薄様(うすよう)に書かせ給ふが、御衣(おんぞ)の同じ色ににほひかよひたる、なほかくしも推し量りまゐらする人はなくやあらむとぞ、口をしき。

「今日のは、殊更に」とて、殿の御方より禄は出ださせ給ふ。女の装束に紅梅の細長添へたり。肴などあれば、酔はさまほしけれど、(式部丞)「今日は、いみじき事の行事にはべり。あが君、許させたまへ」と、大納言殿にも申して、立ちぬ。

君達など、いみじく化粧じ給ひて、紅梅の御衣も劣らじと着給へるに、三の御前(さんのおまえ)は御匣殿(みくしげどの)、中姫君(なかひめぎみ)よりも大きに見え給ひて、上など聞えむにぞ、よかめる。

上も、渡り給へり。御几帳ひき寄せて、新しうまゐりたる人々には見え給はねば、いぶせき心地す。

さし集ひて、かの日の装束、扇などのことを言ひ合へるもあり。また、挑み隠して、「まろは、何か。ただ、あらむにまかせてを」など言ひて、「例の、君の」など、にくまる。夜さり、まかづる人多かれど、かかるをりのことなれば、えとどめさせ給はず。

上、日々に渡りたまひ、夜もおはします。君達などおはすれば、御前人少なならで、よし。御使、日々にまゐる。

御前の桜、露に色はまさらで、日などにあたりて、萎みわろくなるだに、くちをしきに、雨の夜降りたるつとめて、いみじく無徳なり。いと疾う起きて、(清少納言)「泣きて別れけむ顔に、心劣りこそすれ」と言ふを、聞かせ給ひて、(中宮)「げに、雨降るけはひしつるぞかし、いかならむ」とて、驚かせ給ふほどに、殿の御方より、侍の者ども、下衆など、あまた来て、花のもとにただ寄りに寄りて、引き倒し取りて、密(みそか)に行く。

「まだ暗からむに、とこそ仰せられつれ。明け過ぎにけり。不便なるわざかな、疾く疾く」と、倒し取るに、いとをかし。「言はば言はなむ」と、兼澄(かねずみ)がことを思ひたるにや、とも、よき人ならば言はまほしけれど、(清少納言)「かの花盗むは、誰そ。あしかめり」と言へば、いとど逃げて引きもて去ぬ(いぬ)。なほ殿の御心は、をかしうおはすかし、枝どもも濡れまつはれつきて、いかに便(びん)なきかたちならましと思ふ。ともかくも言はで、入りぬ。

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[現代語訳]

263段(続き)

帝のお手紙は、大納言様が受け取って、関白様(道隆)にお渡しされると、手紙の上包みを開けて、(道隆)「読んでみたいお手紙ですね。宮がお許しになられるのであれば、開けて読んでみましょう」とおっしゃったが、「宮は危ないとお思いになっておられるようだ。畏れ多いことである」とおっしゃって、宮にお渡しになるが、宮は受け取っても手紙を広げて開ける様子はなく、手に持って扱っている深いご配慮は、素晴らしいものだ。

御簾の中から、女房が使者に敷物を差し出して、3~4人、御几帳のところに座っている。(道隆)「向こうへと退出させてもらって、禄(ろく)の仕事でもしよう」とおっしゃって関白様がお立ちになった後で、宮はお手紙を御覧になる。ご返事を紅梅の薄様にお書きになるのが、お着物の同じ紅梅の色に重なってぴったりなのだが、やはりこのような中宮様の配慮まで推察申し上げる人は、私たち女房以外にいないのだろうと思うと、(中宮様の人柄の良さを多くの人に知ってもらえないのは)残念なことである。

「今日のお使いは、特別に」ということで、関白様の方から禄はおだしになられる。女の装束に、紅梅の細長が添えてある。肴などもあるので、使者を酔わせたいと思うけれど、(式部丞)「今日は、行事の大変な役割がございます。わが君、どうかお許しください」と、大納言殿にも申し上げて席を立った。

姫君たちなど、とても化粧を綺麗にされて、紅梅のお着物をどなたも相手に負けまいと着ておられて、三の御方は、御匣殿(みくしげどの)、二番目の中姫君(なかひめぎみ)よりも大柄にお見えになって、奥方などと申し上げたほうが、良さそうな感じである。

母の北の方も、ここにおいでになられた。御几帳を引き寄せて、新参の女房にはお姿をお見せになられないので、見たいと思う気持ちが強まる。

女房たちは寄り集まって、供養の日の着物や扇などのことを話し合っている人もいるし、また、挑み合う気持ちから隠して、「私は、何も準備していません。ただ、あるもので何とかしようと思います」などと言って、「またいつもの、あなたったら何も準備しない振りをして…」などと憎たらしく思われる人もいる。 夜になると、里に退出する女房も多いけれど、このようなハレの折のことであれば、中宮様もご退出を留められることはない。

北の方は、毎日こちらにいらっしゃり、夜も泊まっていかれる。姫君たちもいらっしゃるので、側に仕える女房たちの数も多くて良い。帝から中宮様への使者も、毎日参上する。

御前の庭の桜は、露に濡れてもその風情は増すことがなく、日などに当たって、萎んで見た目が悪くなるのさえ残念なのに、雨が夜に降った日の翌朝は、とても無惨である。とても早く起きて、 (清少納言)「泣いて別れたという時の顔に比べると、見劣りしてしまう」と言うのを、中宮様がお聞きになられて、(中宮)「本当に、夜は雨が降っている風情でしたね、どうしたのでしょうか」とおっしゃって、目を覚まされたが、道隆様の邸宅の方から、侍の者たち、下仕えの者たちなどが大勢やって来て、花の根本にどんどん近寄ると、引き倒して取って、ひそかに持っていく。

「まだ暗い内にと、殿様はおっしゃられた。明るくなり過ぎてしまった。失敗してしまった、早く早く」と、倒して取っていくのが、とても面白い。「言はば言はなむ(文句を言うなら勝手に言えばいい)」と、兼澄(かねずみ)の歌を踏まえてもそんなことをするのかと、身分の高い教養のある人であれば言ってやりたいけれど、(清少納言)「あの花を盗むのは誰なのか。悪いことですよ」と言うと、ますます急いで引きずって逃げ去ってしまった。やはり道隆様のお心は、風流な趣きがあることよ、枝も濡れた花がまとわりついて、どんなに見苦しい恰好なのだろうかと思う。とやかく言わずに、中に入った。

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