朝に紅顔あって夕べに白骨となる
(あしたにこうがんあってゆうべにはっこつとなる)
[意味]
朝に、血色の良い健康的な顔をしていた若者が、夕方には(事故・戦争などで)あっけなく死んでしまって白骨になる。
そこから転じて、『この世の無常・儚さ・虚しさ』や『人間の生死の予測できないこと(人の生き死にの計り知れない儚さ)』の喩えとなった。
原典は『和漢朗詠集・下』の『朝に紅顔あって世路に誇れども、夕べに白骨となって郊原に朽ちぬ』である。
[類似のことわざ]
昨日の花は今日の塵(きのうのはなはきょうのちり),昨日の淵は今日の瀬(きのうのふちはきょうのせ)
[用例]
去年あれほど強健だったあの人が、2ヶ月前に進行性のがんで急逝してしまったと聞き、『朝に紅顔あって夕べに白骨となる』の無常の思いに打たれた。
20年ぶりに故郷に里帰りしたが、生まれ育った街の景観が都市開発で驚くほど変わっていた、無常な社会の変わりようを見て『朝に紅顔あって夕べに白骨となる』の慨嘆を感じずにはいられなかった。
参考文献
時田昌瑞『岩波 ことわざ辞典』(岩波書店),『新明解故事ことわざ辞典』(三省堂),日向一雅『ことわざ新辞典』(高橋書店)
トップページ> Encyclopedia>
日本の古典文学> 四字熟語・故事成語>現在位置
プライバシーポリシー