明日ありと思う心の仇桜
(あすありとおもうこころのあだざくら)
[意味]
今、美しく咲き誇っている桜の花が、明日もまた同じように咲いているかは分からないということ。
そこから転じて、人間や世俗(世の中)は今日がどのようなものであっても、明日はどうなっているか分からないという『諸行無常』を表すようになった。明日が今日と同じだと思い込んで当てにしていると、機会を逸して落胆してしまうという意味もある。
元々は、浄土真宗の始祖である親鸞(しんらん)の道歌にあった言葉である。『明日ありと思う心の仇桜、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは』という歌から生まれたことわざである。
[類似のことわざ]
[英語のことわざ]
Never put off till tomorrow what you can do today.
(今日できることを、明日にまで延ばすな。)
[用例]
今期、史上最高の利益を上げた弊社だが、『明日ありと思う心の仇桜』、今日から来年のビジネスの成功を意識して邁進して欲しい。
あんなに好きだと言ってくれていた彼女の急な心変わりを見て、『明日ありと思う心の仇桜』の無常を思い知らされた。
参考文献
時田昌瑞『岩波 ことわざ辞典』(岩波書店),『新明解故事ことわざ辞典』(三省堂),日向一雅『ことわざ新辞典』(高橋書店)
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