15.光孝天皇 君がため〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『光孝天皇の君がため〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ

光孝天皇(こうこうてんのう)

きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ

あなたのために春の野に繰り出して若菜を摘んでいる、私の衣の袖には雪が絶えず降りかかっている。

[解説・注釈]

光孝天皇(こうこうてんのう,830-887,在位884-887)は、藤原基経の計略で廃位された幼帝・陽成天皇の後を、“55歳”という高齢で継いだ第58代天皇である。この和歌で詠まれている『若菜』とはただの春草のことではなく、病気を平癒させたり(邪気を払ったり)一年を健康で暮らせたりという不思議な自然の霊力を備えた春草であり、具体的には『セリ・ナズナ・菜の花』などが摘み取られていたようだ。

『古今和歌集』の説明書きには、『仁和の帝、皇子におましましける時に、人に若菜たまひける御歌』とあり、光孝天皇がまだ皇子だった若い時期に、誰かに贈るための若菜を積んだ美しい情景を詠んだものなのだろう。『君』が皇后なのか恋人なのか親なのか臣下なのかは特定できないが、一番の天智天皇と同じく『天皇自らが他者のために動いて労を取る』という理想の君主像(天子像)について詠い上げたような歌である。まだ雪が降っている春先の寒い野原で、衣の袖に雪をうっすらと積もらせながら若菜を摘む皇子の姿が想像させられる。

光孝天皇は臣下・人民への温かい思いやりと気配りを忘れず、華美な贅沢を嫌って質素倹約の生活を続けた古代天皇の名君の一人に数えられている人物でもある。

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