『源氏物語』の現代語訳:末摘花13

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“二条院におはしたれば、紫の君、いともうつくしき片生ひにて~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

二条院におはしたれば、紫の君、いともうつくしき片生ひにて、「紅はかうなつかしきもありけり」と見ゆるに、無紋の桜の細長、なよらかに着なして、何心もなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。古代の祖母君の御なごりにて、歯黒めも まだしかりけるを、ひきつくろはせ給へれば、眉のけざやかになりたるも、うつくしうきよらなり。「心から、などか、かう憂き世を見あつかふらむ。かく心苦しきものをも見てゐたらで」と、思しつつ、例の、もろともに雛遊びしたまふ。

絵など描きて、色どり給ふ。よろづにをかしうすさび散らし給ひけり。我も描き添へ給ふ。髪いと長き女を描き給ひて、鼻に紅をつけて見給ふに、画に描きても見ま憂きさましたり。わが御影の鏡台にうつれるが、いときよらなるを見給ひて、手づからこの赤鼻を描きつけ、にほはして見給ふに、かくよき顔だに、さてまじれらむは見苦しかるべかりけり。姫君、見て、いみじく笑ひ給ふ。

[現代語訳]

二条院にお帰りになると、紫の君が、とてもかわいらしい幼い感じで、「紅色でここまで慕わしく思われる着物もあるものだ。」と見えるものに、無紋の桜襲(さくらがさね)の細長、しなやかに着こなして、無邪気な感じでいらっしゃる様子も、とてもかわいらしい。古風な祖母君のお躾のままで、お歯黒もまだしていなかったのを、お化粧をして差し上げたので、眉がくっきりとしているのも、かわいらしくて美しい。「自ら、どうして、このように煩わしい事柄に関わっているのだろう。こんなに胸が痛くなるかわいい人とも一緒に居ることもしないで。」と、お思いになりながら、いつものように、一緒にお人形遊びをなされる。

紫の君は絵などを描いて、色をお付けになられる。色々と美しくお描き散らしになるのだった。源氏の君は自分もお描き加えになられる。髪のとても長い女性をお描きになられて、鼻に紅を付けて御覧になると、絵に描いているのを見るのも嫌な感じがした。ご自分の姿が鏡台に映っているのが、とても美しい姿なのを御覧になって、ご自分で赤鼻に色づけをして、赤く染めて御覧になると、これほど美しい顔であっても、このように赤鼻が付いているのは見苦しく醜くなってしまうのは当然であった。姫君が見て、ひどくお笑いになられる。

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[古文・原文]

「まろが、かくかたはになりなむ時、いかならむ」とのたまへば、「うたてこそあらめ」とて、さもや染みつかむと、あやふく思ひ給へり。そら拭ごひをして、

「さらにこそ、白まね。用なきすさびわざなりや。内裏にいかにのたまはむとすらむ」と、いとまめやかにのたまふを、いといとほしと思して、寄りて、拭ごひ給へば、

「平中がやうに色どり添へ給ふな。赤からむはあへなむ」と、戯れ給ふさま、いと をかしき妹背と見え給へり。

日のいとうららかなるに、いつしかと霞みわたれる梢どもの、心もとなきなかにも、梅はけしきばみ、ほほ笑みわたれる、とりわきて見ゆ。階隠し(はしかくし)のもとの紅梅、いととく咲く花にて、色づきにけり。

[現代語訳]

「私が、もしこのような不具・奇形になってしまったとしたら、どうですか。」とおっしゃると、「嫌なものでしょうね。」と言って、そのまま染み付かないだろうかと、心配に思っていらっしゃる。源氏の君が、嘘で拭くふりをして、

「少しも、白くならない。無用ないたずらをしたものよ。帝がどんなにお叱りになられることだろうか。」と、とても真面目におっしゃるのを、とてもお気の毒にお思いになられて、近寄ってお拭きになられると、

「平中の話のように墨などをつけてはいけませんよ。赤いのならまだ我慢もできましょう。」と、ふざけていらっしゃる様子、とても仲の良い兄妹のように見えてしまう。

日がとてもうららかで、いつの間にか霞んで見える梢などは、花が待ち遠しい中でも、梅は蕾みが膨らんで、咲きかかっているのが、特別によく見える。階隠し(はしかくし)の下の紅梅、とても早く咲く花なので、もう色づいていた。

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[古文・原文]

「紅の花ぞ あやなくうとまるる 梅の立ち枝は なつかしけれど いでや」と、あいなくうちうめかれ給ふ。

かかる人びとの末々、いかなりけむ。

[現代語訳]

「紅の花は、わけもなく疎ましい、梅の立ち枝に咲いた花は慕わしく思われるが、どんなものかいやはや。」と、不本意な思いで溜め息をつかれた。

末摘花、若紫、このような人たちの将来はどのようになったのだろうか。

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