『源氏物語』の現代語訳:若紫16

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“「いでや、よろづ思し知らぬさまに、大殿籠もり入りて」 など聞こゆる折しも、あなたより来る音して、~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

「いでや、よろづ思し知らぬさまに、大殿籠もり入りて」 など聞こゆる折しも、あなたより来る音して、「上こそ、この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見たまはぬ」 とのたまふを、人びと、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ。

「いさ、『見しかば心地の悪しさなぐさみき』とのたまひしかばぞかし」と、かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ。

いとをかしと聞い給へど、人びとの苦しと思ひたれば、聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえ置き給ひて、帰り給ひぬ。「げに、言ふかひなのけはひや。さりとも、いとよう教へてむ」と思す。

[現代語訳]

「いやはや、何もご存知ない様子で、お眠りになっておられて」などと女房たちが申し上げている時、あちらの方からやって来る足音がして、「お祖母さま、先日、お寺にいた源氏の君様がいらっしゃってるそうですね。どうしてお会いしないのですか」と言うのを、女房たちはとても都合が悪く思って、「お静かに」と申し上げる。

「あら、『会ったので気分の悪いのが良くなった』とおっしゃっていたからですよ」と、利口なことを申し上げたような気分でいらっしゃる。

とても面白いとお聞きになっておられるが、女房たちが困っていると思ったので、聞かないようにして、細かな気遣いのあるお見舞いをされて、お帰りになられた。「なるほど、確かに子供っぽいご様子であられる。しかし、よく教えてあげれば良いだろう」と思われた。

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[古文・原文]

またの日も、いとまめやかにとぶらひ聞こえ給ふ。例の、小さくて、

「いはけなき 鶴の一声 聞きしより 葦間になづむ 舟ぞえならぬ  同じ人にや」

と、ことさら幼く書きなし給へるも、いみじうをかしげなれば、「やがて御手本に」と、人びと聞こゆ。少納言ぞ聞こえたる。

[現代語訳]

翌日も、源氏の君はとても誠実なお見舞いを尼君にして差し上げなさる。いつものように、小さく手紙を結んで、

「可愛い鶴の一声を聞いてから、葦の間を行って悩む舟はただならぬつらい思いをしているのです。同じ人だけを思い続けるのでしょうか。」

と、殊更にかわいらしくお書きになっているのも、とても素晴らしいので、「そのままお手本に」と、女房たちは申し上げる。少納言が源氏の君にお返事を申し上げた。

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[古文・原文]

「問はせ給へるは、今日をも過ぐしがたげなるさまにて、山寺にまかりわたるほどにて。かう問はせ給へるかしこまりは、この世ならでも聞こえさせむ」とあり。いとあはれと思す。

秋の夕べは、まして、心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなるゆかりも尋ねまほしき心もまさり給ふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べ思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむと、さすがにあやふし。

「手に摘みて いつしかも見む 紫の 根にかよひける 野辺の若草」

[現代語訳]

「お見舞いをして頂いた尼君は、今日をも過ごせないほどに危ない状態なので、山寺に移るところでございまして。このようにお見舞いして頂いたことのお礼は、この世ではない所からお返事をさせて頂きます。」とある。とても気の毒なことだと源氏の君は思った。

秋の夕暮れは、いつもにも増して、心の休まる間もなく思い乱れている人のことに心を向けさせ、無理矢理にでもそのゆかりの人を尋ねたいという気持ちも強くていらっしゃるのだろう。尼君が「消えていく空がない(死ぬに死にきれない)」と詠んだ夕暮れをお思い出しになられて、恋しくても、また、実際に逢ったら見劣りがしないだろうかと、やはり不安なのである。

「手に摘んで早く見たいものだ、紫草と根っこの部分でつながっている野辺の若草を」

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