『源氏物語』の現代語訳:夕顔23

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじめて~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじめて、さるべきものども、こまかに、誦経(ずきょう)などせさせ給ひぬ。経、仏の飾りまでおろかならず、惟光が兄の阿闍梨(あじゃり)、いと尊き人にて、二なうしけり。

御書の師にて、睦しく思す文章博士召して、願文作らせ給ふ。その人となくて、あはれと思ひし人のはかなき様になりにたるを、阿弥陀仏に譲り聞ゆるよし、あはれげに書き出で給へれば、

「ただかくながら、加ふべきことはべらざめり」と申す。

忍び給へど、御涙もこぼれて、いみじく思したれば、

「何人ならむ。その人と聞えもなくて、かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さ」

[現代語訳]

あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂で、略式にせずに、装束をはじめとして、お布施に必要な物どもを、細やかに準備して、読経などをおさせになりました。経巻、仏像の装飾まで疎かにせず、惟光の兄の阿闍梨が、とても高徳の僧なので、この上ない法事をやってのけたのである。

源氏の君のご学問の師で、親しく思っておられる文章博士を呼んで、願文をお作らせになる。誰それとは言わないで、愛しく思っていた女性が亡くなってしまったのを、阿弥陀仏にお譲り申しあげる旨を、しみじみとお書き表しになられたので、

「まったくこのままで結構です。書き加えるべきことはないようです」と文章博士は申し上げる。

感情に堪えていらっしゃったが、源氏の君はお涙もこぼれて、強く悲しんでおられるので、

文章博士は「どんな方なのだろう。誰か知られた女が亡くなったという噂もないのに、これほどまでに源氏の君をお嘆かせになるほどとは、宿運の高いことよ。」と言った。

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[古文・原文]

忍びて調ぜさせ給へりける装束の袴を取り寄せさせ給ひて

「泣く泣くも 今日は我が結ふ 下紐を いづれの世にか とけて見るべき」

「このほどまでは漂ふなるを、いづれの道に定まりて赴くらむ 」と思ほしやりつつ、念誦をいとあはれにし給ふ。頭中将を見給ふにも、あいなく胸騒ぎて、かの撫子の生ひ立つありさま、聞かせまほしけれど、かことに怖ぢて、うち出で給はず。

かの夕顔の宿りには、いづ方にと思ひ惑へど、そのままにえ尋ね聞えず。右近だに訪れねば、あやしと思ひ嘆きあへり。確かならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけ離れ、気色なく言ひなして、なほ同じごと好き歩きければ、いとど夢の心地して、「もし、受領の子どもの好き好きしきが、頭の君に怖ぢ聞えて、やがて、率て下りにけるにや」とぞ、思ひ寄りける。

[現代語訳]

こっそりお作らせになっていた布施の装束の袴を、お取り寄せになられて、

「泣きに泣きながら今日は私が結ぶ袴の下紐を、いつの世にかまた再会して、その結んだ下紐を解いて(心も打ち解けて)逢うことができるだろうか」

「この日(49日)までは霊魂がまだ彷徨っているというが、どの道に定まって行くのだろうか」と思いやりになられながら、念誦をとてもしみじみとしなさる。頭中将とお会いになる時も、意味なく胸がどきどきとして、あの撫子が成長している有様を、聞かせてやりたいのだが、非難されるのを怖れて、言葉にはお出しにならない。

あの夕顔の宿では、どこに行ってしまったのかと思い迷っていたが、そのままお尋ね申し上げることもできない。右近さえも訪れてこないので、不思議に思って嘆き合っていた。確かではないが、様子からしてそうではあるまいかと、ささめきあっていたので、惟光のことを批判したが、まるでかけ離れていて、そうではないと言い張って、やはり変わらずに同じように通って来たので、ますます夢のような心地がして、「もし、受領の子供で好色な者が、頭の君に恐れ申して、そのまま、連れて下ってしまったのだろうか」と、思ったのだった。

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[古文・原文]

この家主人ぞ、西の京の乳母の女なりける。三人その子はありて、右近は他人なりければ、「思ひ隔てて、御ありさまを聞かせぬなりけり」と、泣き恋ひけり。右近 はた、かしかましく言ひ騒がむを思ひて、君も今さらに漏らさじと忍び給へば、若君の上をだにえ聞かず、あさましく行方なくて過ぎゆく。

君は、「夢をだに見ばや」と、思しわたるに、この法事し給ひて、またの夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ、「荒れたりし所に住みけむ物の、我に見入れけむたよりに、かくなりぬること」と、思し出づるにもゆゆしくなむ。

[現代語訳]

この家の主人は、西の京の乳母の娘であった。三人の乳母が育てた子がいたが、右近は他人だったので、「分け隔てをして、ご様子を知らせてくれないのだろう」と、泣いて慕うのだった。右近はまた、口やかましく言い騒ぐだろうと思って、源氏の君も今さら洩らすまいとお隠しになられているので、若君の噂さえ聞くことができず、虚しく消息不明のままに過ぎて行く。

源氏の君は、「せめて夢の中でだけでも夕顔に逢いたい」と、お思い続けていると、この法事をなされた次の夜、ぼんやりと、あの某院のまま、枕元に座っている女の様子も同じように見えたので、「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、私を好いて取りついたことで、このように夕顔が亡くなってしまったことよ」と、そのことをお思い出しになるにしても、縁起の悪いことである。

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